みんなが俺をつくってくれた
六平直政 俳優

六平直政「みんなが俺をつくってくれた」

ヤクザ役や刑事役、三枚目役など、強面を生かした演技が魅力の個性派俳優、六平直政。ムサビ時代は彫刻家を目指し、篠田守男に弟子入り。しかし、当時付き合っていた女性の影響で舞台の魅力に引き込まれ、唐十郎率いる状況劇場へ。今でこそ映画や舞台、テレビドラマで引っ張りだこだが、35歳ころまでは貧乏暮らしで苦労の連続だったという。

Profile

六平直政(むさか・なおまさ)
武蔵野美術大学造形学部彫刻科卒業。俳優。武蔵野美術大学で出会った篠田守男に師事。23歳のとき、唐十郎主宰の劇団、状況劇場に参加。1987年、金守珍らとともに新宿梁山泊を旗揚げ。様々な役柄をこなす個性派俳優として、舞台にとどまらず、映画、テレビドラマ、バラエティーなどで活躍。

人生の師匠・篠田守男に弟子入り

中学時代はすごく勉強して、東京都立国立高校に入りました。俺が入学した当時、浪人生も合わせれば一学年で早稲田や慶応クラスの大学に280人くらい入るようなすごい進学校。だけど、いざ入ったら勉強する意欲がなくなっちゃった(笑い)。だからといって、軟派路線だったわけじゃないよ。俺は20歳くらいまで童貞で、硬派だったんだから。これは絶対に書いてね(笑い)。

大学進学は、周りの人間が勉強ができるやつばかりだったから、俺も普通に東大とか受けようかなんて考えてたわけ。だけど、そこでふと俺は何が好きなのかなって考えたんだよね。人間は好きなことをやらなければダメなんじゃないかと。そこで思ったのが、自分の手を汚しながら物を造ること。つまり、美術の世界へ進みたいと思った。それで美術の先生に相談したら、勝井三雄さん(武蔵野美術大学名誉教授)という有名なグラフィックデザイナーが当時教授をしていた東京教育大学(現筑波大学)を勧められて受験。だけど、美術系の受験対策期間が短すぎて失敗。翌年、ムサビの彫刻学科とタマビ(多摩美術大学)のグラフィックデザイン学科に受かった。

ムサビを選んだ理由は、土着的でプリミティブな感じのする彫刻の方が自分には合っていると思ったことと、篠田守男先生と井上武吉先生に学びたかったから。井上武吉先生はもう亡くなられたけれど、二人とも日本を代表する彫刻家。でも、俺が2年のときに二人とも大学からいなくなっちゃった。それで篠田守男先生のアトリエにおしかけたわけ。「先生困りますよ。俺たちは先生に学びたくて大学に入ったのに」って。ところが先生は「俺には俺の人生がある」って、全然相手にしてくれなかった。だけど、俺もしつこいんだよね。一度思ったらずっと思い続けるタイプだから。それで何度も通ううちにやっと弟子入りすることができ、以来、さまざまなことを教えていただきました。

自分を成長させてくれた人々

ムサビ時代は生活自体が本当に楽しかったね。スキューバダイビング部に入って、そこの部長をやっていた女の子と付き合っていたから(笑い)。10年近く付き合ったかな。親同士も会ったし、結婚も考えていたくらい。役者の世界に入ったのは、その子がきっかけ。彼女が唐十郎さんのファンで、よく一緒に芝居を観に行っていました。それまで、芝居なんてまったく興味がなかったけど、いざ観に行ったらすごくおもしろいんだよね。芝居だけじゃなくてセットもよくて、素晴らしい世界だなって思っていました。

    1. 1
    2. 2
  • next