新しい暮らし、社会をデザインする
和田智 カーデザイナー

和田智「新しい暮らし、社会をデザインする」

日産自動車でシニアデザイナーとしてエクステリアデザインを担当、アウディ移籍後はA6、Q7、A5のエクステリアデザインを主導し、アウディの顔ともいえるシングルフレームグリルを生み出した和田智。独立した現在は、車のデザインにとどまらず、新しい暮らし、そして社会の根幹をなすデザインに目を向けている。

Profile

和田智(わだ・さとし)
武蔵野美術大学造形学部基礎デザイン学科卒業。カーデザイナー。大学卒業後、日産自動車に入社、初代セフィーロ、初代プレセア、ハイパーミニなどのエクステリアデザインを担当。1998年アウディへ移籍、アウディのシンボルとも言えるシングルフレームグリルをデザインし、A6、Q7をはじめ、「世界でもっとも美しいクーペ」と評されるA5を担当する。2009年SWdesign TOKYOを設立し、独立。カーデザインにとどまらず、暮らし、社会に根差すデザインへ目を向けている。

ドイツ文化との必然的な縁

私は大学時代、基礎デザイン学科(基礎デ)で、向井周太郎教授(現・名誉教授)や遠藤武雄教授に教えていただきました。ドイツバウハウスの教育概念を導入しており研究室の展示棚にはバウハウス系のデザインのものがズラリと並んでいたのを覚えています。初めてこの研究室に入ったとき、すごく懐かしさのようなものを感じました。というのも、エンジニアだった父がドイツ製品を愛用し、幼少の頃からドイツ製品に囲まれながら生活していたからでしょう。後年、私は日産自動車を経てアウディのデザイナーとしてドイツで活動することになったわけですが、やはり縁があったのだと振りかえります。

父が乗っていた車がアウディだったことも不思議な縁ですね。父がなぜアウディを選んだかと尋ねると、メジャーなものを本流とする考え方が嫌いだからだといいます。例えばドイツ車であればメルセデス・ベンツが本流だった当時、父はあえてアウディを選んだ。メジャーなものよりもアンダーだけど存在感のあるものを好むという価値観をもっていました。そして、この考え方は私にも受け継がれました。

カーデザインを意識するようになったのは、大学の研究室である雑誌を見てからです。その雑誌は、現在は休刊になっている「Car styling」という雑誌の別冊で、ジョルジェット・ジュージアーロの特集号でした。その中で彼がデザインした車、1980年のトリノモーターショーで出品されたランチアメドゥーサ(コンセプトカー)とフィアット・パンダ(生産車)が掲載されていました。この二つの車を同じ人間がデザインしたとは思えないほど違っていたことに驚き、アリス・イン・ワンダーランド。私がカーデザインに興味をもつきっかけとなりました。

ヨーロッパでモノ創りをすることの意味

昨年、アウディのA5がドイツ連邦デザイン大賞(オスカー)を受賞しました。この車を私が担当したのですが、2007年に出した車なので3年経ってから受賞したことになります。これは非常に珍しいことなのですが、その背景になっているエピソードを紹介したいと思います。

Gallery

写真供給:Audi press

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