境界線に想いをこめて
栗林隆 現代美術アーティスト
Profile
- 栗林隆(くりばやし・たかし)
- 武蔵野美術大学造形学部日本画学科卒業。現代美術アーティスト。同大学卒業後ドイツに留学、2002年デュッセルドルフ・クンストアカデミーをマイスターシューラーとして修了。近年の展覧会に2010年「ネイチャー・センス」展(森美術館)、2011年「INBETWEEN」展(BEYOND MUSEUM)などがある。2012年9月2日まで、国内初となる個展「WATER>|<WASSER」(十和田美術館)を開催。
国内外の展覧会で壮大なインスタレーションを発表し、日本の現代美術を代表するアーティストとして活躍する、栗林隆。現在は境界線をテーマにした作品で一環したメッセージを発しているが、ムサビ時代は具体的な将来像を描くこともできなかった栗林は、留学先のドイツではアートの表現について1つの核心に出会ったという。
留学先に選んだのはドイツ
高校生の頃は、幼いころから熱中していた剣道をする日々でした。しかし、漠然と将来就ける職業は学校の先生や警察官、自衛隊への入隊といった道しか思いつかず、自由な選択肢が少なく思えたんです。それで、海外へ旅に出るか、大学へ進学して好きなことを見つけるか、様々な可能性を求めて悩んでいました。結局なにも決められないまま、なんとなく美大を目指すべく東京の予備校へ通うことにしました。日本画学科を選んだのも、たまたま相談した先生が日本画を専攻されていたから。そんな心持ちですから、ムサビに入ったばかりの頃は真剣に日本画家になるというより、将来はアーティストになりたいと考えていました。
ムサビ時代はすごく楽しい毎日で、自由を満喫していました。しかし、日本画学科の中では特異な存在だったのかもしれません。日本画の学生はみな、内に秘めた思いがあり、いい加減な気持ちで入学していないんです。だから僕のような自由奔放な学生は稀な存在で、クラス分けのとき、ある女の子に「栗林君とだけは同じクラスになりたくない」なんて言われたこともありました。(笑い)
ムサビ卒業後は、アーティストとして活動していくことを決めてはいたものの、自分自身を見つめ直すために、思い切って海外へ旅に出ることにしました。旅の目的は世界各国の美術大学を見学すること。アメリカやオーストラリア、ヨーロッパなど各国を回りましたが、途中訪れたドイツが一番衝撃を受けました。
永遠のテーマは「境界線」
- WaldAusWald 森美術館 2010
- WaldAusWald 森美術館 2010
- aquarium シンガポールビエンナーレ 2006
- TWS 東京ワンダーサイト 2003
- TWS 東京ワンダーサイト 2003
ドイツの大学は、学費がほとんどかからないんです。当時、年間の授業料は5万円ほど。現在でも10万円程度ではないでしょうか。さらに、留学を決め、授業料を払って学生ビザをもらうと、自分のアトリエが与えられる。おまけに自分の住んでいる町から20km圏内は電車とバスが無料、美術館も無料なんです。まさに至れり尽くせり。そしてなによりも自分の尊敬するアーティスト達がそこに存在していました。アートをやる場所はもうここしかないという気持ちで、ドイツに留学することを決めました。ドイツ留学の意志は固まったものの、実際に留学するまでは大変でした。そこでまず先生に認めてもらおうと、ドローイングを持って直接訪ねましたが、大抵いつも「帰れ!」と追い返されるだけ。運よく見てもらえたとしても、「お前がやっているようなことは、全部やった。お前はアーティストとして必要ないから日本へ帰れ」などと言われたこともあります。でも、先生たちとのやりとりの中で学んだことがあります。それは、アートを表現するときに一番大事なのは、作品そのものより人間として核となるものや考えを持っているかということ。例えば先生たちのところへドローイングを持っていくと「これは何だ」と言葉による説明を求めてきます。それに対して、どういう考えで描いたのか、どういう思いを込めたかなど、きちんと説明できなくてはいけません。そこで説明できなければ全く相手にされなくなるわけです。要するにドイツで受けた教育は「自分で考えろ」ということでした。
東西に分かれた歴史をもつドイツで過ごしたせいか、僕の作品の多くは『境界線』がテーマになっています。僕にとって節目となった展示会、03年の『アウト・オブ・ザ・ブルー』(トーキョーワンダーサイト 2003)と、06年の『シンガポール・ビエンナーレ2006』でのテーマも境界線でした。境界線は人間同士や自然の中など、さまざまなところにあり、最もエネルギーに満ちた場所だと思っています。例えば、国境もそう。ヨーロッパはEUとしてボーダーレスな世界を目指していますが、境界を取り除くほどに矛盾点が際立っているように見えるのが興味深いです。
この『境界線』というテーマにおいて、僕は作品にたびたび水面を取り入れ、ペンギンやアザラシを使った作品も数多く手がけています。昨年の『アートフェア東京2011』で発表したアートピースも、ペンギンをモチーフにしたものでした。ペンギンという生き物は、アザラシと同様に水中と陸上といった境界線を行き来する生き物です。そして、ペンギンは空を飛べないのに水中では飛んでいるように勢いよく泳ぐ。そういうどこか中途半端な生き物なのに、体の模様は白と黒でハッキリしている。だから、僕にとっては非常に不思議な存在であり、境界線を象徴する生き物のように見えるんです。
バーチャルの世界だけで満足しないでほしい
海外で出会った多くのアーティストとの触れ合いの中で感じたことは、アーティストという概念が日本とは全く異なるということです。日本でアーティストというと、多くの人はミュージシャンを思い浮かべるのではないでしょうか。しかし、彼らの考え方では、アーティストとは生き方そのものなんです。だから「アーティストとはお前の生き方そのもので、職業じゃない。」と言われます。自分がどう生きるか、社会とどう関わるかが大事であり、その表現方法としてアートを用いているんです。
生き方というと、最近感じていることがあるのですが、それは今の若い人たちは自分で自分の限界を決めてしまっているのではないかということ。限界を越えようとせず、その納得の仕方も上手いせいか、非常に理路整然と話をするのですが、どこか心に響くものがない。これはインターネットの普及によって、何でもすぐにバーチャルで体験できてしまう環境が作られたからかもしれません。僕たちのようにアナログ時代を知っている人間はまずリアルに触れようと考え、どこへでも足を運ぶのですが、デジタル世代の若者はバーチャルの世界だけで満足しているように見えるんです。
来年、僕はインドネシアにスタジオを設けようかと考えています。インドネシアはオランダの統治を受けていた時代があるせいか、ヨーロッパ的な文化ももち合わせています。そのため、西欧のアートを理解したうえで、自分たちのアジア的な表現を模索し、それが非常によく噛み合っている。そして、アーティストやコレクターたちもみんなで自分たちの国のアートを活気づけようと、大変な盛り上りをみせています。それが今のインドネシアです。物価も安く、例えば200平方メートルくらいの広さの部屋を借りようとすると、年間数十万円ほどで済んでしまいます。インスタレーションの作業を手伝ってくれる職人さんの日給も日本の十分の一以下と、日本と比べると格安でアート活動ができる。しかし、多くのアーティストがインドネシアに注目していながら、実際に現地で活動する人が多いとはいえないのが現状です。だから僕は先駆者として行こうかなと考えています。日本の若いアーティストもインターネットで手に入る情報だけに満足せず、こういう活気のある場所へ行って、リアルなものに触れてほしいと思います。