モノづくりを愛着心で考える
長江青 ミナ ペルホネン デザイナー/プレス

長江青「モノづくりを愛着心で考える」 長江青「モノづくりを愛着心で考える」

Profile

長江青(ながえ・あおい)
武蔵野美術大学造形学部空間演出デザイン学科ファッションコース卒業。東京スカイツリーの制服も担当したアパレルブランド「ミナ ペルホネン」のデザイナー兼プレス。大学在籍時から同ブランドでのアシスタントを経て現在に至る。2011年、はじめて手がけた絵本『ぐるぐるちゃん』(福音館書店)を出版。

眼に映るものよりも着る人の気持ちを重視した、多くの女性ファンをもつファッションブランド『ミナ ペルホネン』。小物デザイナー兼プレスとして長く活躍してきた長江青が、『ミナ ペルホネン』の前身『ミナ』の活動に携わったのはムサビ在学中。独自の哲学が貫かれたモノづくりは、その頃から既に形成されていたという。

人生を決めた出会いは魚市場だった

ムサビでは空間演出デザイン学科ファッションコースに在籍していたのですが、授業はファッションに偏らずアートや文化全般について学べて充実していました。ダンスやポスター作りなど、洋服作り以外の授業も好きだったので、授業そのものはすごく楽しかったです。ただ、洋服作りのスキルに関する授業が思っていたより少なかったので、「これでいいのかしら」って思っていました。また、学生時代によくファッションショーを開催していました。最初に参加したのは学園祭のときでした。このときのショーの楽しさが忘れられず、以後は月に1回ほど開催するようになり、ショーを企画することにのめり込んだ学生生活を送っていました。

ミナ ペルホネン(以下、ミナ)の主宰者・皆川明に出会ったのは、大学2年のときです。若手デザイナーが集うバーベキューにお手伝いで参加したのですが、このときの会場になったのが皆川の自宅でした。皆川の姿を最初に目にしたのは、皆川の自宅ではなく、バーベキューの材料の買い出しに行った魚市場。皆川は当時まだミナを立ち上げたばかりの頃で収入がほとんどなく、魚市場でアルバイトをしていたんです。だから、長靴を履いたままのいで立ちで自己紹介をされました。その後、皆川の自宅には画集や玩具など、センスに共感できるものがいっぱいあったんです。それで、ぜひこの人の仕事を手伝いたいと思い、その日に連絡先を渡したんです。

お手伝いを始めたのは大学2年の11月からで、翌年4月に初めてバイト料をもらいました。だけどその月、収支を計算したら外注先への支払いが足らないことがわかり、結局バイト料を返したんです。そんな状態ですから当時は大変な財政面でしたが、私自身は好きなことをさせてもらっているのだから、それが当たり前だと思っていたし、むしろ楽しみながらお手伝いをしていました。好転し始めたのは、私がムサビを卒業した頃から。スタイリストの方に問い合わせをいただくなど、外部からの反応を感じるようになり、少しずつ明るい未来が見えるようになっていきました。

ビジュアルよりもメンタルを重視

自身がデザインし愛用するトリバッグ
自身がデザインし愛用するトリバッグ
はじめての絵本となる『ぐるぐるちゃん』(福音館書店)
はじめての絵本となる『ぐるぐるちゃん』(福音館書店)
  • 自身がデザインし愛用するトリバッグ
  • はじめての絵本となる『ぐるぐるちゃん』(福音館書店)

皆川は一人でどんどん走ってしまうのではなく、スタッフとともに歩こうというタイプのデザイナーで、私がまだお手伝いで彼と二人だけだった時代から、共同作業という意識を強くもっていたので、さまざまなことを話し合うことができました。中でも印象に残っているのは、洋服に対する考え方。皆川は「服とは着ることによって喜びを得たり、自分の気持ち(メンタル)に作用したりするもの」という考えを強くもっています。通常、女性はスタイルがよく見られたいとか、自分が他人の目にどう映るかを気にしながら服(ビジュアル)を選びがちです。これに対して皆川は、重視すべきはビジュアルよりもメンタルの方だと考えていたんです。これは、彼特有のアプローチだと思いました。

このようにメンタルを重視するため、私たちはミナの服にも長く愛されてほしいという願いをこめています。それ故に「長く着られる服」でありたいと思っているので、半年ごとの流行を意識することはありません。通常、洋服というと流行に左右されることが多く、例えば他人に話題を振るときも「昨年の服だけどね」なんて言ったりしますよね。そして、いずれ手放すものという感覚をもっているのではないでしょうか。だけど、本当に好きな服ならばずっと着てもいいし、次の世代が着てもいいと思うんですよ。私たちはそう考えて商品の耐久性を重んじながら作っているし、いろいろなモノの寿命を、素材の寿命ではなく愛着があるかないかで考えています。

また、メンタルの重視は一緒に作る相手の方々にも及んでいます。ミナのモノづくりは、相手と十分に意思疎通ができるよう、互いの顔が見られる環境を志向しています。そのため、必然的に国内の工場で生産することが多く、特定の職人さんと深いお付き合いをさせていただいています。私の代表作のひとつであるトリバッグも、職人さんとの二人三脚で作り上げたものです。

絵本の出版で原点に返る


私は結婚後、2007年よりベルリンに住んでいるのですが、当時、日本を離れることについて、皆川にどのように伝えようか悩んでいました。仕事は続けたいけど、ベルリンでどうやって仕事ができるか分からなかったですから。でも悩みつつも打ち明けると、皆川からは一言だけ「辞めないよね」という言葉をもらいました。結局ベルリンに移り住んだ後も最初の3年間は、1年のうち半分、東京で仕事をしていました。しかし、妊娠して出産を控えた頃からはベルリンにいる期間が長くなったため、担当するデザインの数などもずいぶんと減りましたし、東京のスタッフにお任せする部分も増えました。今後どのような方法で仕事を続けていくのがベストなのか、今もなお模索中です。

出産を控えてベルリン滞在が長くなった頃ですが、ミナの仕事から離れて取り組んだ絵本『ぐるぐるちゃん』(福音館書店)の出版が、その頃の私の仕事上での一番大きなできごととなりました。絵本を作るプロジェクト自体は長く温められてきた企画なのですが、企画をした当時、それまで私は長く深くミナに関わってきたせいか、どこからが自分という存在で、どこからがミナという存在なのか分からないという不思議な精神状態だったんです。だから、子供ができたので絵本を出版したくなったということではなく、自分自身が何者であるかを確認するという、原点回帰の意味がすごく強かった。だけど出産すると、もうこれまでのようには働けないかもしれない、取り組むならこれがラストチャンスだとも思っていたので、結構あせりながら制作しました。

絵本は紙に絵具でモチーフを描いてから、ちぎり絵にするという方法で手触り感のあるタッチにし、構成は菊地敦己さんの協力を得ました。菊地さんはムサビ時代からの友人で、ミナの立ち上がりの頃から、グラフィックデザインの仕事をお願いしたりと交流を重ねていました。このほか、装幀家として有名になった名久井直子さん。彼女は私の卒業制作で作った服を買ってくれた仲なんです。ムサビの仲間が、どんどん出世をしたり有名になったりしていますが、無名時代から共に仕事ができてこれたのもムサビで学んだからこそで、非常に恵まれていることだと思っています。