武蔵野美術大学は7~8月にかけて、六本木の東京ミッドタウン内にあるデザイン・ラウンジにて「学長トーク」を開催しました。第一部では長澤忠徳学長の講演を、第二部では質疑応答の時間を設け、高校生たちから受験に対する悩みについて質問が相次ぎました。ここでは、8月7日に行われた第一部の講演について紹介します。

何が「問題」かすら「わからない問題」を解くには…「心の音」を聞け!

テクノロジーという言葉がありますが、これは「テクネ」と「ロジック」を合わせた言葉です。テクネとはその人にしかできない技のことですが、ロジックと合わせると、ロジックがわかる人はテクネをもっていなくても見よう見まねでマネができるようになります。すると、最終的に世の中はみんな同じになってしまうでしょう。さらに、そのテクネが一般的なものになると、テクネを持っている人(考え出した人)は必要ではなくなってしまいます。例えば、コンピュータの中に入っているソフトには、美しいフォントなど、才能にあふれた昔のデザイナーが何年もかけて創り出したさまざまなテクネが搭載されています。そして現在、美術大学の学生たちはコンピュータを使ってデザインするようになりました。しかし、彼らからコンピュータを取り上げたら、はたして何ができるでしょうか。これは、私たちにとって大きな命題となっています。

このような状況のなか、私が学内で常に訴求していることは、「何が問題かすらわからないような問題を考えないといけない」ということです。何が問題かわからないような問題は、問題自体が何なのかわかりません。そんなときは「心の音」を聞くとよいでしょう。心の中の思いである意志の「意」とは心の音と書きますが、みなさんにも言葉に出さず、身振りにも表さず、心の中にだけ留めているものがあるでしょう。美大生はこの「心の音」を、言葉にするのか、身振りにするのか、それとも色を使って何か作るのか、立体を作るのか、踊るのか、歌うのか、さまざまな手法で外に出して表現しています。このように「表現」とは「心の音」の具体であり、別の言い方をすると、自分の中の心の音に耳をすますことが、「何を問題にするか」ということに繋がっていくのだと思っています。

帝国美術学校から86年、日本を代表する私立の総合美術・デザイン大学へ

ムサビは1929年、世界大恐慌の年に吉祥寺に帝国美術学校という名前で生まれました。その6年後、多摩グループが分かれて多摩帝国美術学校(現、多摩美術大学)ができ、残った母体がムサビになりました。以来、その長い歴史の中で、早くから造形に関する通信教育を始めたこともムサビの教育の特徴の一つです。また、師範科も早い時期に設置しており、教員の養成にも力を入れてきました。もう80年を超えますので、美術教員養成のパイオニア的存在と言えるでしょう。この間、教育の主眼に置いてきたことは「人がどう考え、どう悩み、どうもがいて何を出しているのか」ということで、身体性を覚醒する教育を目指してきました。

この「身体性」とは、「個性」の意味に近いものです。人はそれぞれに違った考え方をもっており、それぞれがそれぞれの境遇で育っていきます。見てきた世界、親から語りかけられてきた言葉、食べてきた料理、ありとあらゆるものに違いがあり、「身体性」とはこれら独自の経験によって育まれていきます。ですから、身体性の覚醒から生まれた美術も、一概にこうでなくてはならないと押し固めることはできません。そこで、教育の中でとても重要になってくるのが「寛容さ」です。つまり自分の考えや価値観とは違ったものでも、一度寛容に受け止めることが必要だというわけです。ムサビには、この寛容な校風が濃厚にあり、いろいろなことを受け止めてくれ、さらに各々が自在に自分を出しても、みんながそれを見守ってくれたり関心を持ってくれるという環境が整っています。

    1. 1
    2. 2
    3. 3
  • next