全国各地で活躍するマウジン2017 前田直人朝日新聞東京本社 世論調査部長

前田直人 (まえだ・なおひと)
朝日新聞東京本社 世論調査部長
(1991年度 武蔵野美術大学造形学部視覚伝達デザイン学科卒業)

1968年 東京都豊島区生まれ。グラフィックデザイナーの父の影響で、幼少期より絵画教室に通い、高校から美大受験予備校に通う。
大学在学中、ソ連、韓国、旧東ドイツを旅行し、世界情勢の大変動に刺激を受ける。バンド活動やミニコミ誌の発行に取り組みながら、ジャーナリズムに関心を強める。
1992年 朝日新聞社に記者として入社。山口支局配属(警察・司法担当→県政・市政・選挙担当)
1996年 西部本社社会部(福岡在勤。内政・選挙担当)
2000年 東京本社政治部(政党担当、首相官邸担当→野党キャップ、官邸キャップ→デスク)
2010年 名古屋報道センターデスク(政治・選挙担当)
2012年 東京本社政治部(企画チームデスク→政治部デスク)
2013年 編集委員(政治担当。コラム「政治断簡」連載スタート)
2016年 世論調査部長(現職)
不定期でBS朝日「激論!クロスファイア」にコメンテーターとして出演。
趣味は音楽、美術、ウィスキー、グルメ。

「ジャーナリストにとって大切なことは、何事もあきらめないこと」-—美大卒の政治記者の挑戦

1987年12月ソ連旅行。ハバロフスクの栄光広場のモニュメント前にて

─政治に興味を持ったきっかけは

それまで無関心だった政治へ意識を向けるようになったのは、19歳(1987年)のときのソビエト連邦への旅行がきっかけでした。当時はまだ東西冷戦の時代が続いていて、憧れていたロシア・アバンギャルドはスターリン政権下で排斥された影響もあって見ることができませんでした。そのときから世界情勢に関心を持つようになり、関連する本を読みあさり、ときに夜を徹して友人らと語り合う日々が始まりました。大学在学中(1987~1992年)の日本はバブル末期の好景気、一方、世界では1989年の天安門事件に続き、冷戦終結によるソ連の崩壊など、大きな変動が起こっていたのです。

卒業制作「からくに潜遊記—韓国紀行」。韓国を貧乏旅行した経験を綴ったもの

─学生時代のエピソードは

当時はバンド活動をやりながら、音楽以外の表現手段を求めて仲間とミニコミ誌を発行し、在日韓国・朝鮮人問題、フェミニズム、環境問題など多岐にわたる題材を取り上げていました。大学ではエディトリアルデザインを専攻していたけれど、次第に、デザインするよりその中身を書きたいという気持ちが高まっていったのです。
ありがたいことに当時の視覚伝達デザイン学科では、卒業制作に「形がない制作物でもよい」というゆるい雰囲気もあって、それで「韓国へのひとり旅」について書くことにしました。「紀行文を入れた封筒を読んでくれそうな誰かに送る」というやり方も、個人メディアの新しい試みとして評価もされ、最終的には本という形にまとめ、無事に単位をもらうことができました。

─新聞社へ入った経緯は

卒業の随分前からデザイン制作はやめていました。ミニコミ誌や文章教室などでモノを書くことに没頭していたころ、朝日新聞OBの小松錬平氏から「いいライターになる」とほめられて、同社の採用試験をすすめられたのです。そのときの言葉に煽られ、学校関係者からの斡旋による大手企業への誘いは果敢に蹴り、だめもとと覚悟しつつ朝日新聞社を受験。残念ながら結果は不合格でしたが、卒業保留扱いで就職浪人し、二年目には合格することができました。政治記者にこだわっていたため、他の新聞社からも内定をいただきましたが、「デザインの技能を生かした部署で活躍してもらうこともありうる」と面接で言われたのがひっかかり、辞退しました。一方、朝日新聞社は「美術系のバックグラウンドだからこそ、あえて異なる分野を担当するのもおもしろい」と、政治や行政取材を経験させてくれて、初の美大卒の政治記者となりました。

朝日新聞コラム「政治断簡」2013.7.26, 2013.12.27, 2017.7.17掲載, A18-3620。無断転載禁止

─今の仕事内容は

現在部長を務める世論調査部では、内閣支持率や選挙の動向、国民の意見を探る世論調査を実施し、結果分析を行っています。また、編集委員時代から続けているコラム「政治断簡」の執筆を月に1回、しています。そのほか、BS朝日「激論!クロスファイア」にコメンテーターとして出演したり、学校やカルチャーセンターで日本の政治・政党・選挙について講演したりと、人前で話す機会も多いですね。

─美大でデザインを学んだことが今の仕事に与えた影響は

美大での経験はバックボーンとして活きていると思います。とりわけ、長年に渡って鍛錬したデッサンは非常に役立っています。三次元を二次元に置き換えるときのテクニックが、取材情報を組み立てていく際に要するスキルと似ているのです。記者の基礎教育の一貫にデッサンを取り入れてはと提案したいほどです。
仕事上のネットワークとしては役に立たず、美大ならではの人脈が生きることはまずない。でも美大出身という異色さから興味を持たれ、人と話がはずむなんていうこともありました。

─仕事で大切にしていることは

万事において、何もかもあきらめないことです。記事を書くというのは、大半が地道な構築作業なんです。その過程で権力に屈しないで、最後まであきらめないことが大切です。ニュースで一番重要とされる特ダネを取るためには、時間をかけて取材対象に食い込み、深い情報を聞き出し、記者が掘り起こさなければ世の中に出ることはなかった重大ニュースを報じていくという、地道かつ熾烈な競争を粘り強くやり遂げなければなりません。

取材中の前田さん(カメラマンの右側)

─今後の展望は

新聞社が存続する限り、新聞づくりをしていきたい。情報が氾濫し、ネットニュースやSNSが台頭する中、すでに日本の40代以下の人々は新聞を読まなくなっています。既存メディアとしての新聞の存続が危ぶまれているのです。新聞が生き残るためにも、噂がネタではない、正当な取材とファクトに基づくニュースを提供し、報道のプロとしての信頼を維持しなければなりません。とりわけ長い歴史をもつ朝日新聞をつぶしてはいけないと思うのです。これからも個性のあるメジャーな新聞であり続けるために、どのようにして組織ジャーナリズムと会社経営を成り立たせていくかを模索していきます。
また、新聞記者を引退したとしても書くことはやめません。政治に限らずあらゆるテーマについて、時代の動きを見据えながら、人々の関心に投げかけるものを書いていきたいです。

─ムサビで学ぶ学生へのメッセージ

ムサビは自由な空間とチャンスを与えてくれる場です。思いっきり冒険し、探検し、変人であってほしい。卒業後の進路においても「表現すること」をやめないでください。

編集後記

子供の頃から美術の勉強を着々と重ね、デザイナーへの道をまっしぐらに走っていたのに、皮肉にも美大で「絵筆からペンに持ち替える」という大きな心変わり。それを後押ししたのも、ムサビの自由奔放な雰囲気と寛大な教育方針だったというのは興味深い。なるほど、「表現するひとを育てる」というのは、アーティストの育成だけに限らないのだ。では「表現する」とはいったいどういうことなのか、あらためて考えさせられる。
「記事を書くことは取材相手と書き手との共同作業ですから、好きに書いてください。」というやさしい言葉には、プロの記者の懐の深さがあふれているようで、強い感銘を覚えた。

ライタープロフィール

大橋デイビッドソン邦子(05通デコミ/グラフィックデザイナー)
名古屋市生まれ。1986年に早稲田大学政治経済学部卒業。NTTに8年間勤務し、広告宣伝や展示会、フィランソロピーを担当する。その後、米国ワシントンDC、パラグアイ、東京に移り住み、2006年に武蔵野美術大学造形学部通信教育課程デザイン情報学科コミュニュケーションデザインコースを卒業。2008年よりスミソニアン自然歴史博物館のグラッフィックデザイナーになり、現在も東京よりテレワーク中。NPO団体のデザインも手がける。
http://www.kunikodesign.com/