全国各地で活躍するマウジン2017 佐藤健寿

佐藤健寿 (さとう・けんじ)
2001年度 武蔵野美術大学造形学部 映像学科卒業
写真家。世界各地の“奇妙なもの”を対象に、博物学的・美学的視点から撮影・執筆。写真集『奇界遺産』『奇界遺産2』(エクスナレッジ)は異例のベストセラーに。著書に『TRANSIT 佐藤健寿〜美しき不思議な世界〜』(講談社)、『世界の廃墟』(飛鳥新社)など。近刊は米デジタルグローブ社と制作した人工衛星写真集『SATELLITE(サテライト)』、『世界不思議地図』(朝日新聞出版社)など。TBS 「クレイジージャーニー」、NHK「ニッポンのジレンマ」ほかテレビ・ラジオ・雑誌への出演歴多数。トヨタ・エスティマの「Sense of Wonder」キャンペーン監修など幅広く活動。
Webサイト:http://kikai.org/

いま自分がやっていることに対して、根本的に興味があるのかどうか、立ち返って確認をしています

ヒマラヤに雪男を追い、チェルノブイリの廃墟をさまよい、ロシアでロケットの発射を見上げる。世界各地を縦横無尽に行き来する写真家、佐藤健寿さんにお話を伺った。

『世界の廃墟』(飛鳥新社、2015年)よりコールマンスコップ(ナミビア)

─子どもの頃から“奇妙なもの”への興味が人一倍強かったのでしょうか。

ロボットやUFO、怪獣など、男の子らしいものは普通に好きでしたが、特別熱心というわけではなく人並みでした。
ただ小学生の頃とか、変な空想はよくしていましたね。例えば、もしいま外にUFOがいて、火星に行けるけど行ったら帰ってこれないという事態になったとき、自分は実際に行くのかどうか、真剣に自問自答していました。
普通は20歳くらいを超えたら雪男とかはどうでもよくなりますよね(笑)、大人になるにつれてそういうことに興味を失っていくんだと思いますが、僕の場合は大人になってからもずっと残っていました。なので強い興味があったというよりも興味が消えなかったことのほうが大きいかもしれません。なぜ消えなかったのかを突き詰めると、結局のところ自分がワクワクしていられることってなんだろうと常に考えてきた結果なのかなと思います。

『奇界遺産』(エクスナレッジ、2010年)、『奇界遺産2』(同、2014年)

─ムサビの映像学科入学から在学中の活動などを教えてください。

ちょうど僕が高校生くらいの時にWindows95が普及してきて、以前に比べてパソコンやデジタル技術が身近になり、映像分野に関しても個人単位で色々できるようになってきて興味を持っていたんです。
実は現役時代に一度普通の大学に入ったんですが、あまり楽しいと思えず、ムサビに入り直しました。
大学時代はプログラミングを使ったいわゆるメディアアート的なことをやったり、何でもやっていましたね。ダムタイプとかが好きで、例えば実写とCGを組み合わせて音と同期させたりといったことです。写真も、当初はそうやって色々やっている中の素材のひとつに過ぎなかったんです。

─ムサビを卒業されてから写真家になるまでの経緯を教えてください。

今の仕事へ繋がるきっかけになったのは、ムサビを卒業した翌年のアメリカ留学です。サンフランシスコの大学で写真とデザインを半々くらい学んでいたんですが、あるとき写真の課題で別の州の土地を撮影してくることになりました。
それで子どもの頃にテレビのUFO番組で見たことのある、ネヴァダ州にある“エリア51”というUFO愛好家の聖地とか、ゴールドラッシュでできた廃墟みたいな場所を訪れました。そこが予想以上に面白くて、その内容を当時自分で運営していたサイトに掲載したんです。それをみた出版社からコンタクトがあり本を出版したことで、それから撮影や執筆の仕事が来るようになっていきました。
日本に帰ってきてからも旅関係の写真の仕事などをしつつ、また海外の面白そうな場所に出かけていっては写真を撮りためてまた本を出版して、今に至るという流れですね。

『奇界遺産2』よりトラジャ族の葬儀(インドネシア)

─好きなことを仕事にしていくために心がけていることはありますか?

『奇界遺産』は本になるまでに5年、『奇界遺産2』も4年くらいかかっています。自分はわりと飽きっぽい性格ですが、長く続けられているのはやっぱり自分が好きなことだからですよね。
いま自分がやっていることに対しては、根本的に自分はこれに興味があるのか、と常に基本に立ち返って確認しています。あとは好きなことをするのは今の時代、実はそんなに難しいことじゃないと思うんです。海外に行くのも写真を撮るのもやる気の問題で、割とすぐできる。だけど好きなことを続ける方法まで考える人は少ない。だから好きなことをしたかったら同じくらい、それを続けて行く方法を考えないといけないと思います。

─世界中の色々な場所を訪れることで、その先に見えてきたことを教えてください。

世界を捉えるときの基準が、だんだんと国境という明確な区切りではなく距離の問題になっていくような感覚がありますね。見慣れてくると、この地域の人々の顔はあそこの人達と似ているなとか、世界がグラデーションとして見えてくる感じがあります。
文明も当然その土地の自然環境に影響されるものですし、風土に合わせて思想が形づくられているように感じます。
僕が撮影しているものは何かの儀式、宗教、あるいはその思想に基づく建築だったりするのですが、極論すればそれらのほとんどが“死”に関するものだとも言えるかもしれません。

佐藤さんがこれまで上梓した書籍の一部

─学生へ伝えたいことはありますか?

以前、とある大学の学生たちに旅のフリーペーパーをつくったので見てくださいと渡されたことがありました。とても綺麗で上手につくられているのですが、商業媒体の上手な模倣というか、まとまり過ぎているように感じました。 プロになると必然的に仕事は綺麗につくらざるを得ないので、学生のときは大人の真似ごとじゃなくて、もっと自由に壊れたほうがいいと思います。

─今後の展望を聞かせてください。

自分のやっているようなことは、ともすれば埋没してしまいがちなので、少しでも多くの人に知ってもらったり、分かりやすく伝えたりすることは意識的にやってきていて、テレビ出演などもその手段として考えています。 当面はまだ色々と撮影のプロジェクトがありますが、今後はもう少しアート寄りのものとか、商業的な受け入れやすさを考えなくてもいいものもやっていきたいですね。

編集後記

驚き、衝撃、戦慄、しびれ。自分にとっての“面白さ”をとことん考え続け、どこまでも追い求めてきた佐藤さんの書籍たちは、この世界は気が遠くなるほど広く深く恐ろしく美しく、そして思わず笑ってしまうほど豊かな変テコに満ちていることを真顔で教えてくれる。

ライタープロフィール

百野 ケンスケ
2005年度 武蔵野美術大学造形学部 映像学科卒業 フリー映像ディレクター