全国各地で活躍するマウジン2018 大貫 美明豊ファシリティワークス株式会社 代表取締役社長

大貫 美 (おおぬき・よし)
昭和39年6月12日生まれ。平成2年3月 武蔵野美術大学 造形学部 空間演出デザイン学科 卒業

平成2年4月株式会社スパチオ研究所入社。平成9年7月明豊株式会社(現明豊ファシリティワークス株式会社)入社。平成15年10月取締役、平成18年6月常務取締役 就任。平成26年4月代表取締役専務 就任後、平成29年4月代表取締役社長 就任 現在に至る。

脇役ではなく、主役として活躍するデザイナーとは

─ムサビ時代の学びで印象に残っていることは?

私は芸能デザイン学科で学んでいたのですが、「10号館を一つの街に見立てて何かを作る」、「東京のこれから」といったテーマで、大がかかりなプロジェクトを考えていくような授業が楽しかったですね。よく覚えているのは、有名な彫刻家・向井良吉先生の授業。とくに印象に残っているのは、先生の発案で北海道の音更町と組んで行ったイベントで、ムサビ生の作った彫刻を展示したりしました。この時は、現地の廃校になった小学校をお借りして宿泊し、自分たちで食事を作ったり、町長さんの自宅に招かれてご馳走をいただいたりと、楽しい思い出がいっぱいあります。

─ムサビとはどんな大学だったという印象をもっていますか?

学生のタイプが本当に多種多彩で、日本じゃないみたいでした。まるでニューヨークやパリみたい。考え方はもちろん、ファッションもさまざまだし、信じられないようなことがよくあり、入学当時はとんでもないところへ来ちゃったなって思いました(笑)。そんな変わった人たちの集まりですから、みんなで意思統一をして何かを行うということがなく、徒党を組むことが大嫌い。大学中に個性が溢れているという感じでしたが、そこがムサビのおもしろいところだと思いますね。

─ゼロから何かを生み出すためには、そういう面も大事ですよね。

ゼロから何かを生み出すというのは大変な作業ですが、私が大学時代に思ったのは、何のアイデアも浮かばず悶々としていても、ひたすら考えていけばいつか必ず何かのアイデアが生まれてくるということです。例えば大学で課題が出ると、コンセプトを考えたり、デザインを考えたり、いろいろなことを考えなければなりませんが、いくら考えても何も思い浮かばずに悶々とした時間が流れていくことがありますよね。そんな時でも、ひたすら考え続けていると、突然、何かを思いつくんですよ。悶々とした時間がどれだけ長くとも、考え続けていれば必ず何かを思いつくんです。ですから、私は「デザインは質より量だ」と思っています。質というものは後からついてくるもので、とことんやってみて、量を重ねた結果が質に繋がっていくのだと思っています。これは仕事でも同じですね。私の中では、途中であきらめずにひたすら考え続けていくということが習慣になっています。

─仕事はこれまで、どのような経歴をたどってこられたのですか?

まず、大学4年のときにイタリアへ留学しました。そのため、就職活動ではイタリアに関連する仕事に就きたいと考え、スパチオ研究所という会社に就職しました。そして、入社半年後にはイタリアのミラノで働いていたので、20歳代のほとんどはイタリアにいました。その間、私は世界でも一流と評されるデザイナーの方と仕事をする機会にたくさん恵まれたのですが、強烈に感じたのは日本のデザイナーとは全く仕事の仕方が違うということでした。夜7時以降に仕事なんてしないですし、徹夜なんてまずしない。では何をやっているかというと、経営者っぽく戦略を考えたり、人と話をしていたりする。ですから、日本のようにきれいなパースを作ったり、プレゼンボードを作ったりといったことはほとんどしません。彼らは基本的に人と話をしていて、その中で生まれたアイデアなどを簡単にスケッチするだけ。そして、お客様のところへ行き、その簡単に描いたスケッチだけで説明していました。

─ご自身がデザインを考えることはあったのですか?

当時、スパチオ研究所ではイタリアと日本の懸け橋になるようなビジネスを展開していました。例えば、イタリアの有名な建築家を招いて日本で建築をしたり、有名なファッションデザイナーのライセンス契約を日本のアパレル会社へ橋渡ししたりといったことです。そのため、日本企業とイタリア企業の人々の往来がすごく多く、私は主にその往来の手助けを行っていました。例えば、土曜日の夕方5時に日本からのお客様がミラノに到着したら、それを迎えに行き、ホテルにお届けし、しばらく経ったら食事にお連れする。そして、日曜も食事にお連れして、月曜からは一緒に仕事をして、金曜の昼2時のフライトで帰国するのを見送る。毎週、このようなパターンの繰り返しでした。ですから、私はデザイナーとして働いたことはなかったのですが、今、社長をしているのは、そのおかげかもしれません。

─それは興味深い話ですね。詳しく教えてください。

おそらく、実技としてのデザインを主な業務としていたら、今の自分はなかったでしょう。デザイナーというものは、ひょっとして脇役なのではないかと感じました。もちろん、よいデザインを作ることで社会から評価されることはあると思うのですが、その評価する人は経営者だったり、お客様だったりします。要するに、彼らと対等の立場とは言えない。ですから、企業のデザイン部などに入って、目の前の業務だけをこなしていけば、脇役への道をまっしぐらに進むことになると思います。一方、世界には私がイタリアで出会った一流デザイナーのように、社会と対等に仕事をしている人々がいます。また、アップル社の最高デザイン責任者のジョナサン・アイブのように、会社の戦略や経営的な数字を意識しながら主役として活躍しているような人もいます。このような人との違いは、「デザインとは何か」という根本的な考え方にあると思うのですが、大学でもこのことを意識できるようなことを学べるといいと思います。

─現在の会社へ転職した理由は何ですか?

バブル経済がはじけて、日本経済が弱くなると共に会社の経営も厳しくなっていったからです。一方、転職先となった弊社(明豊ファシリティ ワークス)は当時30人程度の規模の会社でしたが、飛ぶ鳥を落とす勢いがありました。この会社は現会長の坂田明が作った会社で、当時は主に日本に進出してくる外資系企業のオフィスを作る手助けをしていました。東京都心のオフィスビルというのは、その多くがデベロッパー所有のもので、そこに入居してオフィスを構えようとすると、家賃以外にもインテリアのデザイン費や工事費などさまざまな経費がかかります。そして、これら一式を行う工事会社は、あらかじめビルで決められています。そうすると、必ずしもテナントの希望通りにならない事もあり、とくに外国人の方にはなかなか納得していただけません。坂田はそこに着目し、会社の経営を全てガラス張りにしたコンストラクションマネジメント事業を始めました。ところが、ビル側が指定している工事会社というのはほぼ大手なので、最初は大変な苦労がありました。

─それは相手の既得権益に踏み込んでいくようなものですよね。ものすごく大変なことだったのではないですか。

もう戦いで、いつもピリピリしていました。供給者側はビルを持っている方、そこで働いている方、工事を請け負う方などが一体となっていましたから。しかし、そのために大きな支払いが生まれたり、想定外の時間がかかったりしました。そんな状況で自分たちの考えを主張していくわけですから、最初は徹底的にやりあいましたよ。例えば、会議室で話し合いの席をもつと、相手はものすごい人数で乗り込んでくるのですが、こちらは一人か二人。

─そんな大変な状況を打破することができた突破口は何だったのですか?

オフィス事業では、テナントさんの理解が得られなければ、私たちの仕事は成り立ちませんが、テナントさんが疑問を感じても、それを口に出す人は少数派です。しかし、そんなテナントさんの中にも2~3割くらいの侍がいるんですよ(笑)。そういう侍の方々に信頼をいただいたおかげで、少しずつ状況を変えていくことができました。そして、現在はオフィス移転の手助けだけでなく、公共施設をはじめとして、工場や大学のキャンパス、アミューズメント施設などの建設マネジメントといった、大がかりなプロジェクトも手掛けていいます。

─そんな御社にとって、提案力が非常に大事だと思いますが、そこで美大生が役立つことはありますか?

私は先ほど、社長になったのはデザインを業務としなかったからだとお話しましたが、デザイン感覚に優れた経営者やプロジェクトマネージャーは、有利だと思っています。その意味で、美大生のポテンシャルは高いと思います。しかし、目の前のデザインだけしか見ようとしなければ、その才能は活かしきれないと思います。デザインのプロセスを3つに分けて説明すると、第一段階では、今の社会環境と発注者(企業など)の課題を読み、自分に提案できることとその理由を短い言葉にします。そして、第二段階では自分の考えを発注者へ説明します。このときは、第一段階の言葉と伝えたい事だけに集中した1枚のイメージで表現します。そして、最後の第三段階がデザインになります。このプロセスの中で、多くのデザイナーは第三段階だけ、早くても第二段階からというのが現状でしょう。第一段階は、お客さんが考える事、またはより上流のコンサルタントが考えるものとデザイナーが最初から受け身になるのではなく、それこそデザイナーの仕事だと考える人々が増えれば、主役になろうとするデザイナーも増えていくと思います。そして、私たちの仕事でも、そういう方は活躍できると思います。

─それは、今デザインを学んでいる若者にとって、大きなメッセージになりますね。

世の中の多くのデザイナーの方は、出世や富というものをあまり意識していないかもしれませんので、いい悪いの話ではないのですが、私は先にお話しした第一段階から考えるのがデザイナーだと思っていたほうが、その人の能力がもっと活かされる可能性が高いと思っています。