最前線で活躍するマウジン2019 鈴木 佐知子株式会社スマイルズ クリエイティブ本部 クリエイティブディレクター
パスザバトン企画開発
鈴木 佐知子 (スズキ サチコ)
株式会社スマイルズ クリエイティブ本部 クリエイティブディレクター
パスザバトン企画開発
(2000年〔1999年度〕武蔵野美術大学造形学部彫刻学科卒業)
東京生まれ。武蔵野美術大学卒業後、渡蘭。Utrech(ユトレヒト)の「HKU」にてTejo Remyに、「Design Academy Eindhoven」にてGijs Bakkerに師事。2005年よりIID世田谷ものづくり学校の企画ディレクターとしてイベントやギャラリー、ワークショップなどの企画や新規事業開発に携わる。2015年にスマイルズに入社。クリエイティブ本部にて外部企業へ向けたブランド戦略や企画デザインのコンサルティングなどを行う。2016年より同社のブランド、「PASS THE BATON」にてギャラリーやイベント、オリジナル商品の企画開発、MD企画に携わり現在に至る。
環境を壊す要因になるようなものづくりにずっと疑問を感じていました
――ムサビで彫刻学科を選んだ理由は?
元々はデザインに興味をもっていたのですが、予備校で自分の作品を見ていただいた時に彫刻学科をすすめられたので、彫刻学科を受験しました。私の受験した年のムサビの受験はユニークで、通常、彫刻の試験というとトルソーや人体のデッサンが主流なのですが、その時はまさかの静物だったんです。当時、静物はデザイン学科で出題されることが多い課題でした。ですから試験会場へ行ったとき、布がかかったイスが置いてあったので、みんなモデルさんが来るのを待っていたんです。ところがいつまで経ってもモデルさんが来なくて、会場内も「どういうこと?」という雰囲気だったのですが、だんだん気づく人が出てきて…。要するに目の前の布がかかったイスを描けばよかったんです。
――そういう柔軟な発想もテストされたわけですね。
そのせいか、私の学年の彫刻学科の3分の2は、元々デザイン学科志望で彫刻学科も受験していた学生が入学しました。そのため、授業で作る作品も彫刻の枠を超えたものが多くて、まるで空間演出デザイン学科の作品群のようでした。私も架空の人混みや人影を作って、人が中に入ると作品として成立するような、人が関わるインスタレーションに強い興味をもっていました。
――そういったカテゴリーの枠を超えた学びは、ムサビらしいですね。
株式会社スマイルズ:
http://www.smiles.co.jp/
ムサビの学びで、何かに縛られた覚えは一つもないですね。大学時代に自分の目指す進路がハッキリしている人は少ないと思うので、いろいろな学びを経験できるのは本当にいいことだと思います。逆に縛られることが多ければ、退学したくなったと思います。私の場合は学校の先生というのも一つの選択肢としてありましたので、教職課程をとっていたのですが、そこでデザインなど多彩な実習ができたこともよかったと思います。
――ムサビの学びでほかに印象に残っていることはありますか?
規律やコミュニティの作り方のようなものを、先輩達から教わりました。美大というと自由なイメージがありますので意外だと思われますが、彫刻学科は重い鉄やガス・石のかたまりなど危険なものを扱うので、その空間にいる人達の安全を守るために規律や協力がすごく大事なんです。
そのため、年に2度新入生から大学院生まで集って大掃除をするのですが、新入生はその重要性をよく理解していないため、時には厳しく指導されます。実際、自分がケガをしたり他人がケガをしているのを見たりすると、みんな意識が変わりますね。ですから、今でも無秩序なデスクや空間を見るとやけに気になります(笑)。
このほか、彫刻学科といえば、芸術祭で繰り広げられる男神輿が有名ですよね。私の時代は一度廃止になった男神輿が復活した頃だったので、すごく盛り上がりました。しかし、今でもそうだと思いますが、なかにはああいうものに馴染めなくて参加を拒否する学生もいます。私の時代も、元々デザイン学科志望でスマートなものが好きな学生が多かったので、当初は馴染めない人が多くいました。しかし、大学生活が長くなってくるとみんな意識が変わり、だんだん泥臭くなってきて上級生と仲良くなって…。そんな男神輿ですが、実は新入生から大学院生までが一堂に会して神輿の制作からイベント運営までを行う場として、また危険な作業を伴う制作の安全祈願、大学校舎内で制作を行うことの多い学科でしたので地域の方たちへの 1 年の感謝を伝える大事な儀式だったんですよ。
――ムサビ卒業後、オランダに留学したそうですね。
参照:Design Academy Eindhoven:
https://www.designacademy.nl
90年代にデザインの分野で注目されていた「ドローグ・デザイン」に惹かれ、創立者の「ハイス・バッカー」や初期メンバーの「テヨ・レミ」が教壇に立つ学校で彼らから発想の仕方やコンセプトの組み立て方などを学びました。当時のオランダのデザインは、「コンセプチュアル・デザイン」として知られています。通常プロダクトは、フォルムや機能美といったものを重視しながらデザインされるのですが、オランダで学んだデザインは人の思考や感情からものづくりが発したり、完成形にたどり着くまでのロジックやコンセプト、作品作りのプロセスが枠にとらわれず、とてもユニークでした。
――帰国から現在に至るまで、どんな経緯をたどられたのですか?
オランダで在学中に日本のインテリアショップ IDEE の新規事業であった IDEE R-PROJECT にしばらくインターンとしてお世話になっていました。その縁で最初に就職したのは IDEE R-PROJECT が手掛けた「IID 世田谷ものづくり学校」でした。ここは廃校になった古い校舎を再利用して作られた、ものづくりをテーマにした誰でも通える学校です。日本で民間企業が初めて公共の活用をおこなった事例として当時注目の施設でもありました。建物内はクリエイターやデザイナーのオフィスとして活用されているほか、地域コミュニティの場やイベントスペースとして開放されています。私はそこで施設の活用法を企画し、さまざまなイベントやワークショップ、行政と連携した新規事業の開拓などを行っていました。
――それはやりがいのある仕事だったと思うのですが、なぜ辞めてしまったのですか?
IID 世田谷ものづくり学校:
https://setagaya-school.net
私は起ち上げから5年半ほどいたのですが、最初は事務所の壁に穴が空いているような何もない状態からスタートしましたので、新しいことを発見してそれに取り組みながら進化を繰り返す、例えるなら毎日階段を5段跳びしているような日々でした。建物の契約は5年間。無事5年間の活動を終え、次の5年の継続契約を獲得するために他社を含めたコンペティションに参加し、そして次の5年の更新が決まったとき、私のなかで一区切りついた気持ちになりました。そして、新たな世界に挑戦してみたいという思いから独立しました。ここで過ごした日々のなかで得た人との関りは退職直後から現在まで変わらず私のかけがえのない財産になっているので、辞めたというよりはフェーズを変えたというようなイメージの方が正しいかもしれません。そしてその後、フリーで活動しているなかで、現在所属する「スマイルズ」から誘いを受け、クリエイティブ本部に入りました。
――スマイルズへ転職した当時はどんな仕事をされていたのですか?
PASS THE BATON:
https://www.pass-the-baton.com/
クリエイティブ本部は新たな仕掛けを作っていく中核の部署なのですが、私が入社した2015年の頃はまだできたばかりでいろいろな仕組みも整っていない状況でした。なので「自由にやってよい」といわれましたが、クリエイティブディレクター候補ということ以外、役目があいまいで何もすることがなかったんですよ(笑)。ですから、私に何ができるのかを模索するような日々で、私にとっても大きな挑戦でした。そのなかでたどり着いたのが「PASS THE BATON」の商品企画・開発でした。
――「PASS THE BATON」は、どのような事業ですか?
今は使わないけど個人の想いが詰まった愛用品で、捨てるのは惜しい品物を引き取って、持ち主の顔写真とプロフィール、品物にまつわるストーリーを添えて販売したり、企業製品の生産や販売の背景の中の何らかの理由で世の中に流通できないものに再び光をあて販売する現代のセレクトリサイクルショップです。現在、例えばプラスチック製品による環境汚染がよく話題になりますが、私は人間が便利になるために作られたモノが環境を壊す要因になるようなものづくりにずっと疑問を感じていました。そのため、古いモノの価値を再発見・再構築できるこの事業に携わるようになったのは、私にとってとても自然な流れだったと思っています。
――そのなかで商品の企画・開発はどのように行っているのでしょうか?
商品は個人のお客様から預かったモノのほか、企業のモノもあります。日本経済が絶好調だった80年代後半から90年代前半、日本にはモノが過剰に溢れていました。経済の崩壊以降、ビジネスの枠組みから外れ、現在もまだ保管されたままになっているデッドストックのなかには、今でも使えるモノや少し加工すると今の時代に合った新たな価値をもつモノがあります。また、現代でもモノの生産や販売の過程でどうしても出てきてしまう規格外品は存在します。私が「PASS THE BATON」の商品計画を組み立てる中で、今最も興味をもっているのは、そういった企業のなかで眠っているモノです。そういうモノを求めて全国を探し歩くのも私の一つのミッションだと思っています。
企業それぞれにプロセスや解決方法が全く違うのですが、具体的な例を上げると、「PASS THE BATON」のギャラリーで行ったイベント「有田焼・波佐見焼 デッドストック陶器市」もその一つです。きっかけは、陶器を使用したオリジナル商品で取引のあった企業の倉庫で、金彩など豪華な装飾や作りを施した一般家庭では見かけたことがない食器群を見つけたことでした。この食器群はバブル期に割烹料理店などの業務用として使われていたもので、倉庫の中に大量に眠っていました。わたしにとっては宝物を見つけた嬉々とする事件だったのですが、本来こういうデッドストックとして眠った商品は、企業もあまり見せたがらないんです。とはいえ、地球環境を意識したものづくりが以前より当たり前になった現代では、ただ眠らせたり廃棄したりするのではなく新たな価値を見出して世の中に再び送り出す方法さえあれば何とかしたいと考えられる企業も増えているように思います。それぞれ特有の問題を企業と一緒に考え、乗り越えていきながら価値を再発見・再構築、そして再発信していくことが楽しくて、やりがいを感じています。
――そういった情報を得るには常にアンテナを張ることが大事だと思いますが、そのアンテナをもつこともムサビの学びが活きていたりしますか?
そもそも作品を作るということはアンテナをもつということなので、ムサビ時代の学びから培ったものだと思います。作品を作る過程で誰もが「誰かの発想にないものを作る」ということを考えていると思うのですが、それは社会に出てから「ビジネスを作る」、「事業を作る」ということにも通じる部分があると思います。今でも「他では絶対に見つけられないものを見つけたい」という気持ちは常に自分のなかにあります。
――では、最後に美大を目指す受験生たちにメッセージをお願いします。
今はどんな領域の仕事でもクリエイティビティが必要とされている時代だと思いますので、領域にとらわれない様々な角度からの視点や発想を学び、美大でしか手に入れることのできないクリエイティビティを養う意義は大きいと思います。また、お金や既存の仕組みにとらわれないクリエイティビティに溢れるアイデアは、私たちが社会で生活するうえで唯一、私たち人間にもたらされた「心」を豊かにする大切なエッセンスだと思います。そんな唯一無二のスキルを手に入れ、社会でだれにも負けない自分だけの強いクリエイティブな意志を養っていってほしいです。