最前線で活躍するマウジン2019 丸山 亜由美トリプル・リガーズ合同会社 代表
丸山 亜由美 (マルヤマ アユミ)
トリプル・リガーズ合同会社 代表
2018年武蔵野美術大学造形学部 基礎デザイン学科卒業
東京都生まれ
2011年北⾥⼤学医療検査科卒業後、新卒でロシュ・ダイアグノスティックス株式会社⼊社。遺伝⼦研究機器の営業でトップセールスとなり、3年在籍後退職し武蔵野美術⼤学基礎デザイン科⼊学。在学中ケルン国際デザイン⼤学に交換留学。2018年3⽉同⼤学卒業。同年12⽉「Tokyo Startup Gateway 2018」(東京都)優秀賞、2019年1⽉「ジャパン・ヘルスケアビジネスコンテスト2019」(経産省)優秀賞。同年3⽉トリプル・リガーズ合同会社設⽴(ヘルスケアにおけるデザイン制作事業)
ヘルスケア用品を魅力的な存在にしたデザインの力。
~デザインやアートの価値を上げることが、経営者の社会的な責任~
――一度社会人として働き、ムサビで学び直したそうですね。その理由は?
前職は外資系の製薬会社で遺伝子研究機器の営業をしていました。医療機器はいかに正しく早く測定できるかといったスペックや価格が重視され、デザインとはあまり縁のない世界でした。しかし、私が扱っていた機器のなかに実験中に七色に光るユニークな機器があり、それを売っていたときだけは価格やスペックの話は一切なしで、飛ぶように売れたんです。そのとき私が思ったのは、七色に光るという機能が付いているだけで人はこんなにワクワクしてくれるんだという驚きと、こういうものが次世代の新しい価値になるということでした。そして、私もそういう新しい価値を世の中に送り出したいと思い、美大で学び直すことを決めました。
――かなり勇気のある決断だと思いますが、決断を後押ししたものは何ですか?
元々、人生が2度あれば美大に入りたいと思っていたくらい、アートが好きだったのですが、決断を後押ししたのは前職でトップセールスになれたことです。そのときまで私は何かで一番になったことがなく、初めての成功体験だったのですが、そこで自信をつけたことが大きかったですね。
――仕事をしながらの受験勉強は大変だったのでは?
週に一度、土曜日に画塾に行って学びました。しかし、それだけでは勉強量が足りないので、営業の移動中、例えば新幹線の中に絵の具と小さなコップを持ち込んでデッサンをしたりしました。いつ乗務員さんに怒られるかとビクビクしながらですけど、営業担当エリアが広く、週に4回くらい新幹線に乗っていたので、その時間を有効活用したかったんです。ほかにも、出張先のホテルで描いたりしていました。そんなある日、画塾の先生に「これはどうやって描いたの?」と聞かれて「新幹線の中やホテルで」と答えたのですが、先生から「デッサンとは、そういうものではない!」と注意されました。デッサンは通常、同じ位置の同じ目線から描くものですが、私の場合は場所がコロコロ変わるので、影などが不自然だったんです。「この作品はこの世に存在し得ないパースと影だよ」と言われてしまいました。
――受験したのは、基礎デザイン学科だけですか?
私は原研哉先生に学びたかったので、ムサビの基礎デザイン学科一本です。私が最初の大学(北里大学)に通っていたとき、原先生の名著「デザインのデザイン」に出会ってからずっと先生を尊敬していて、北里大学時代は授業をこっそり抜け出して先生の展覧会をボランティアで手伝っていたくらい憧れていました。
――実際に学んでみて、どうでしたか?
印象に残っているのは、先生が「僕、最近やっとゴシック体と明朝体が描けるようになったんだよね」とおっしゃって、作品を見たときですね。手描きなのに、ワードに出てくるフォントと同じくらい精密に描かれていたんですよ。もう神様みたいと思うと同時に、私は何十年かかってもこの域には達することができないだろうと強く思いました。ムサビでは、原先生に限らず学生のなかにも神の子と言いたくなるくらい上手な人がいっぱいいて、デザインのスキルだけでトップになることは無理だと実感しました。それでも、どうしてもデザインを仕事にしたかったので、自分自身の強みであるヘルスケアの分野に特化してデザイナーとしてのキャリアを作ってゆくことに決めました。
――ヘルスケアの分野で活かせるデザインを学んだわけですね。
そのつもりだったのですが、当時の自分はまだ実力不足で、ベーシックな技術を学ぶだけで精一杯。ヘルスケアのデザインなど考える余裕もなく、自分よりはるかに才能にあふれた友だちを見ながら何度も自信を失い、本気で大学をやめたいと思うくらいに落ち込みました。
――そんな時期をどうやって乗り越えたのですか?
家族の支えが大きかったのですが、一番はドイツ留学でした。ドイツは、日本と比べて社会人になってから学び直す人が多いせいか、初めて会う人に自己紹介すると、「ユニークなキャリアだから頑張ってね」と言われることが多かったですね。また、ムサビでは一度も評価されたことのない私の作品が、ドイツでは評価を受け、優秀留学生賞をいただきました。それが自信につながり、今があります。
――それは、ムサビでの学びが活きたのでしょうか?
はい、例えばタイポグラフィーの授業です。木村雅彦先生の授業だったのですが、とにかく厳しい先生で、何度やり直しても課題の作品を受け取ってくれませんでした。朝まで泣きながらやっていたのですが、その厳しさのおかげで1ミリに満たない文字間隔を突き詰めてゆくクラフトマンシップを深く学ぶことができました。ドイツではインターン先のアートギャラリーで、ギャラリーのプログラムや招待状を作らせていただいて、海外でデザインを仕事にするということができました。これは木村先生のおかげだと思って感謝していますし、留学中フィンランドのアールト大学まで先生の講演を聞きに伺ったのも思い出に残っています。
――現在の仕事について、詳しく教えてください。
現在は、ヘルスケアに関するライフログアプリの画面のデザインなどを手がけています。また、ロゴなども作っており、例えば経済産業省がヘルスケアやライフサイエンスに関わるベンチャー企業を支援するために作った、「Healthcare Innovation Hub」のロゴも作りました。このほか、私も20歳から患っている糖尿病の予防に関する活動をしていて、例えば昨年の七夕には、ヘルスケアメーカーのPHCと血糖値を測るイベントを開催。測った血糖値をリアルタイムにシステムに飛ばし、デジタルアートを作りました。
――ユニークなイベントですね。どんなデジタルアートを作ったのですか?
血糖値が高いと色が赤くなったり、動きが激しくなったりするオブジェクトです。通常、血糖値を測る機器を健康な人が使用することはあまりないですよね。ですから、血糖値を測る体験をしてもらい、食事や睡眠、ストレスで大きく変わる血糖値というものに多くの人に興味を持っていただくことが目的でした。実際に開催してみると、若い人たちが多彩に変化するオブジェクトを楽しみながら血糖値を測るのですが、機械の使い方が分からなかったり、間違えてしまったりするんです。そういうリアルな反応を技術開発に活かしたいとPHCの方が仰ってくれて。そういった、協賛企業にもイベントによる価値を提供できたことが、すごくうれしかったです。
――まさに、デザインで医療を変えるような取組みですね。最近は、医療界でもデザインの重要性が見直されているのでしょうか?
デザインの重要性に共感してくれる人は、かなり増えてきましたね。例えば、経済産業省の「Healthcare Innovation Hub」のロゴを作ったとき、オープニングイベントに招待いただいたのですが、そこでロゴに込めた想いや「Healthcare Innovation Hub」への想いを話してほしいと依頼をいただきました。官公庁や医療業界のリーダーがスピーチをする中、ロゴのデザインにスポットライトが当たるのはこれまでは無かったことだと思うので、起業家としての意義を感じました。
――現在の仕事のやりがいは何でしょう?
365日すべての仕事のことに関して、自分で決められることです。クライアント、作るデザインの内容、納期、金額、いつ誰と仕事をするのかまで、全て自分で決めることができます。
――金額もですか?
見積りを出すと、よく「他の会社に比べて高いなぁ」と言われます。しかし、あえてそうさせてもらっているのは、私たち経営者にはデザインやアートの価値を引き上げる社会的な責任があるからです。ムサビの学生も含めてこれから社会へ出てゆくクリエーターの皆さんが、好きなことを仕事にできる環境をさらに整えてゆく必要性を感じています。例えば、ヨーロッパのクライアントさんと仕事をすると、「アユミのバジェットはいくらなの?」と聞いてきます。しかし、日本のクライアントさんは「うちの予算はこうなんだけど…」という話になる。この意識差は大きく、ヨーロッパではクリエイティビティに敬意をもって対価を払うという文化が根付いているのですが、日本にはその感覚が十分に浸透していません。ですから、優れたデザインは社会を変える力を持ち、それを生み出すまでには相応の時間とお金がかかることを発信し続けて行きたいです。
――最後にムサビを目指す、受験生達にメッセージをお願いします。
これからの世の中は数値で測れることや正解があるものではなく、人の感情に訴えるものや明確な理由はないけれど「なんとなくいいな」ということが大切にされてゆくのではないかと思います。そういうものが作れるのは、芸術をアカデミックに学んだ人だと思うので、ぜひムサビで頑張って欲しいです。また、「自分の核になるものを1つ持とう」と伝えたいです。私はヘルスケアに特化したデザイナーという軸がアイデンティティになったおかげで自分自身にも作品にも自信が持てるようになりました。好きなものや興味が持てることなど自分自身のことをよく分かっていると、将来のビジョンを描いて目的を持って学ぶことができると思います。