日産自動車株式会社
深く突き詰め考えることの大切さ
中村史郎(工業デザイン専攻卒業) × 邱 溪 (工芸工業デザイン学科卒業)
カルロス・ゴーン社長にヘッドハントされ日産自動車株式会社に入社した常務執行役員チーフクリエイティブオフィサーの中村史郎さん(工業デザイン専攻卒業)とINFINITIブランドのデザイン・ダイレクター邱 溪さん(工芸工業デザイン学科卒業)。
カーデザイナーを目指し、ムサビを選んだのは必然だったというお二人。深く考え抜かれたデザインにはどのような思いがこめられているのか、未来のデザイナーには何が求められるのかをお聞きしました。
コンセプトカー ESSENCE(エッセンス)
ムサビは個性的な学生が多く、楽しかったという話をよく聞きますが、お二人の在学時はいかがでしたか?
中村 私はあんまり大学に行ってないんですよね(笑)。入学した頃は学生運動の時代で大学が占拠されていましたから、大学へ行けなかったんです。そもそも、私は車のデザイナーになりたくてムサビに入ったので、車のデザインに関係のない授業はやる気がしなかったですね(笑)。昔はそういう学生がいっぱいいましたよ。それだけ車のデザイナーの人気が高かったんです。
邱 私が学生だった頃も車のデザイナーは人気がありました。
中村 しかし、今は人気がないというより希望者が少なくなっているように感じますね。
わたしが学生だった頃は反社会的な運動が盛んな時代でしたから、大学で真面目に勉強するという雰囲気ではなかった。今の若い人たちの想像を超えた、理解しがたい時代だったと思いますよ。美術大学のステータスも今とは違っていて、一般的な大学には行きたくないという人が“何か違うもの”を求めて集うという感じでした。
邱さんが学生だった頃は、バブル景気でエネルギーに溢れていた時代だったのではないですか?
邱 美大生というのは一般的な文化に背を向けている人が多いので、バブル時代の文化に浸っていたのは一部の人だけだったのではないでしょうか。しかし、みんなムサビが好きだから大学には来ていましたけど、ほとんど遊びに来ているといった雰囲気でしたね。
中村 今は社会が成熟してきているから生真面目な美大生も多いけど、あの頃は会社だってそんな感じでしたよ。例えば、今は残業の管理が厳しいから夜9時になったら追い出されちゃいますけど、私たちの時代は徹夜なんて平気でしていたもんですよ。誰も文句を言わなかった。
邱 私が入社した頃もそうでした。夢中でデザインをしていたら、あっという間に夜になっていましたから。とくに上司がそういう文化で育ってきたので、徹夜なんて普通のことでした。
就職活動はどのような活動をしていましたか?
邱 わたしは日産の実習に行きました。当時はS13型シルビアとかR32型スカイラインが出ている時代で、ずいぶん興奮したことを覚えています。
中村 私の頃は、今ほどシステマチックに実習をやっていなかったので、どこにもいかなかったですね。採用時もポートフォリオ面接だけで終わり。人事の面接もなかった。海外の採用方法は今でもポートフォリオを持って行き、デザイン部のヘッドに見せて合否が確定しますが、私もその方式でした。
車のデザイナーを目指している人が行くような学校というのは、ほとんど決まっています。海外では、アメリカにアート・センターなど3校ほど、ヨーロッパでも2校程度。ところが、日本にはそのような学校はないのにもかかわらず、なぜかムサビ出身者が多いんですよ。卒業生がどんな会社で活躍しているかを知ることは、すごく大事なことだと思います。私は車のデザイナーになりたいからムサビを選んだわけですが、決してムサビに入ることが目的ではなかった。その先に目的があるからムサビを選んだわけで、大学選びとは本来そうあるべきです。しかし、実際は大学に入ることが目的になってしまっている人が多いじゃないですか。それよりも、卒業したその先に何になりたいかという目的があって、そのためにどの大学で学ぶかを決めるべきだと思いますね。