自落語とデザインの幸せな関係
林家たい平 落語家
あれは大学3年のある日、アパートでラジオから流れてくる落語「粗忽長屋」を聞いていたときのことでした。部屋のなかでゲラゲラ笑いながら、僕はふと、この温かくて優しい気持ちは何だろうと思い始めました。そして、言葉しか聞こえてこないのに、風景が浮かび、人の顔が浮かぶ。さらに匂いも音も感じることができる。そう思ったとき、「落語だって人を幸せにできる表現方法のひとつじゃないか!」と考えたんです。これが、僕が本格的に落語にハマったきっかけでした。そして、僕は最終的に“人を幸せにするというデザインの画材”として落語を選んだわけです。ですから武蔵野美術大学へ行っていなければ、今の林家たい平は存在しませんでした。
大学時代に学んだこと
大学の授業ではポスターやCM、絵画、パッケージデザイン、写真と、さまざまな制作物の勉強をしました。そして、「創意工夫をする」「アイデアをひねる」といった、“無から有を生み出す”ための訓練を重ねてきました。これは林家たい平となった今でも、大きな力となっています。
例えば、落語を創るとき。僕たちが普段話している落語は、ベースにある古典落語を自分流にアレンジしているのですが、このときも無から有を生み出す作業をしているわけです。こうした作業は一朝一夕にできるものではなく、僕にとっては大学時代の経験がすごく役立っています。また、その経験上、僕は創意工夫のコツとして「人がどうしたら喜ぶかを考えること」を基本ベースにしているのですが、今となってみれば、この考え方のおかげでずいぶん得をしました。
僕は前座時代の頃から故・内海好江師匠に大変可愛がられていたのですが、そのきっかけはある年の正月、寄席の楽屋で働いていたときのことでした。当時、好江師匠は朝から重たいカツラをかぶって出演されており、とても辛そうなご様子でした。しかし、楽屋にはカツラを置く場所がありません。そこで楽屋を見渡すと、一升瓶とトイレットペーパーが目の前に。とっさに僕は一升瓶にトイレットペーパーをはめた、簡単なカツラ置きを作りました。すると、好江師匠が大変お喜びになり、「こういう機転のきいたアイデアというのは、今後の落語家人生のなかでも大変大事なことだよ」とおっしゃり、以来、ずっと可愛がっていただきました。こんなことも、大学で無から有を生み出す訓練を続けてきたおかげだと思っています。