"ノーフューチャー"に未来はあるか
みうらじゅん イラストレーター

みうらじゅん「“ノーフューチャー”に未来はあるか」

怪獣、仏像、エロスクラップなど、多彩な趣味をもつサブカルチャーの王様、みうらじゅん。これまで漫画家、小説家、ミュージシャンなどさまざまな分野で活躍し、さらに流行語大賞を受賞した「マイブーム」ほか、「ゆるキャラ」などの造語やブームを生み出してきた。この独特の感性はすべて、ムサビの悪友たちによって育まれたものだという。

Profile

みうらじゅん(みうら・じゅん)
武蔵野美術大学造形学部視覚伝達デザイン学科卒業。イラストレーター。大学在学中に月刊漫画「ガロ」でデビュー後、エッセイスト、漫画家、ミュージシャン、映画監督など多方面で活躍。1997年には造語「マイブーム」で流行語大賞を受賞。著書の『アイデン&ティティ』(1992年・青林堂)『色即ぜねれいしょん』(2004年・光文社)は映画化もされた。

ムサビは「みうらじゅん」の原点

ムサビを目指した理由はただ一つ、横尾忠則さんになりたかったから。デザイナーになりたかったわけでもないし、イラストレーターになりたかったわけでもなかったんです。ただ、横尾さんになりたかった。それで横尾さんのエッセイを読むとムサビを目指したって書いてあったもんで、京都から上京して二浪までして入学したんですが、横尾さんは結局ムサビに入ってないんですよね。芸術にアカデミックな教育は必要なのかという疑問が湧いたとか。

でも僕は、結果的にムサビに入ってよかったと思っています。ムサビで知り合った学友のおかげで今の僕があるようなものですから。そんな友人たちと毎晩のように飲みながら語り合っていましたが、今考えるとそれがサブカルチャーの素だったんだと思っています。僕は価値観まで変えられてしまいましたから、全てはムサビ時代にあったと言えますね。

先輩にもおもしろい人たちがたくさんいました。例えば大竹伸朗さん。大竹さんはムサビに入ってすぐニューヨークに行ったと聞きました。現地でグっとくるものを拾ってきて、それをスクラップ上でアートにするという活動をされていました。ムサビに戻り、教室でスクラップを並べて展覧会をやっておられました。僕も小学生の頃から怪獣と仏像とエロスクラップをしていたので、大竹さんの隣の教室でこっそり展覧会をやったのを覚えています(笑い)。

結局、僕はアウトローな人に憧れていたのかもしれません。なぜかというと、僕は中流家庭で育ったことにコンプレックスをもっていて、グレたくてもグレきれない中途半端な状態でしたから。だから、すごくロックに憧れていて。ムサビ時代は当時YMOの影響で大流行したテクノ野郎と喧嘩したり、ロックな気持ちを高めていました。

美大=ロックだと思い込んでいた

先生にも反発していました。研究室まで行って、「先生のやってることは認めない」って言ってみたり。そもそも美大とはそういうことが許される大学だと思っていたし、そうでなくてはいけないと勘違いしていました。美大とは芸術行為の場で、日々アバンギャルドなことをする場だと思い込んでいました(笑い)。本当は、芸術の基本・基礎を教わるところ。それに気付くまで本当にずいぶん時間がかかりました。

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