“ノーフューチャー”に未来はあるか
みうらじゅん イラストレーター

みうらじゅん「“ノーフューチャー”に未来はあるか」

当時、岡井睦明(故人・元武蔵野美術大学名誉教授)さんが主任教授を務められていて、入学式の祝辞で「僕の息子が『四人囃子』というバンドをやっている」とおっしゃったんですよ。四人囃子のドラムの岡井大二さんは岡井先生の息子さんで、それを聞いたとき、僕はすごくうれしかった。やっぱり僕はロックな大学に入ったんだって確信が持ててうれしかった。だから、無茶苦茶なことを一生懸命やっていました。まさに未来なんて、あんまり考えてない、ノー・フューチャーですよね。女装もそのひとつです。女装して大学に通った時期が一年くらいありました。あれも、僕なりの一生懸命の芸術行為でしたから、中央線で痴漢に会ったときは大喜びでしたね(笑い)。卒業が間近に迫ったころ、「単に卒業しちゃいけない」、「何かでかい事をしなきゃいけない」って一生懸命考え、友達数人で夜中、窓ガラスを割りにいきました。でも、ちゃんと卒業させてくれたことがスゴイですよね。岡井先生もご自分の息子さんの姿を見ているから、気持ちを分かってくれたのかもしれません。最後、先生が呆れたように「もういらないから出て行ってください」とおっしゃり、僕は「ありがとうございました」と応え、見事卒業しました。先生と一緒に写ったそのときの写真は、今でも大切にしています。

僕を救ったムサビのブランド力

僕は大学3年のとき漫画家としてデビューしたものの、これで食べていける程の収入はありませんでしたし、就職なんてできるわけがないとも思っていました。そういうアンチな気持ちが芸術には大事だと思っていました。でも、クラスのみんなは就職活動を始めるわけですよ。長髪だった友人が髪を切ったりとか。すーっと、みんな大人になった感じがして、すごく寂しかった。僕も一社は受けてみたものの、あっさり「いりません」と言われました(笑い)。仕方なく就職する友人たちとは正反対の道を歩んでいたので、学士号なんて何の役にも立ちませんでした。

でも、僕ほどムサビ出身という肩書きを利用した人間もいないでしょうね。僕はムサビ出身だから絵が上手いと思われていたんですよ。だから、上手いのにわざと「へたうま」で描いていると思われたんですね。要するにムサビというのがブランドになっていて、その信用力で仕事がもらえたんですよ。もちろん、最後にはバレましたけど(笑い)。

ほかにも、ムサビのことをよく知っている人から「視デ(視覚伝達デザイン学科)なんですか!」って驚かれることがありました。当時の視デの倍率は40倍くらいありましたからね。だから、「みうらさんって本当はすごい人なんだよ」って紹介してくれたりするんですが、周りの人も「何でそんなすごい人があんな馬鹿なことを書いてるんだ?」ってね。だから、もし僕がムサビじゃなかったら、あれほどのハッタリは効かなかったと思いますね。

ムサビでは、価値観まで変えてくれた友人と出会い、卒業後も学祭に何度か呼んでいただいたりして。結局、僕はあの頃と変わらず今も学生気分でいたりする。楽しく生きていることを芸術と呼ぶかは分からないけど、ムサビはそういうことを許容してくれるところだったと思っています。

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