自分の居場所を自分で作りたい
柳澤知明 インタラクションデザイナー

柳澤知明「自分の居場所を自分で作りたい」

原宿ラフォーレのグランバザールのCMにも採用された口にLEDを仕込んだパフォーマンスなど、さまざまなアイデアや創作物を世に送り出してきた、クリエイティブスペース4nchor5 la6(アンカーズラボ)のメンバーの一人、柳澤知明。デザイナーとして、ときにはエンジニアとして、多彩な才能をもつ若手のクリエイターとして期待されているが、本人はまだ、自分が何者であるか定義できていないという。

Profile

柳澤知明(やなぎさわ・ともあき)
武蔵野美術大学造形学部デザイン情報学科卒業。インタラクションデザイナー。英国王立芸術大学(RCA)デザイン・インタラクション学科修了。クリエイティブスペース4nchor5 la6(アンカーズラボ)の一員として、2010年、「NIKE MUSIC SHOE/NIKE JAPAN」でカンヌ国際広告祭フィルム・クラフト部門銀賞、フィルム部門銅賞を受賞。Perfume LIVE @ Tokyo Dome、LAFORET GRAND BAZARのCM制作などに参加。個人としてニューヨーク近代美術館での「Design and the Elastic mind」に作品が選出されるなど、多方面で活躍する。

僕が美術大学に入った本当の理由

僕は高校時代、理系だったので、当初は美術大学への進学を考えていませんでした。僕の家族はみんな理系で、父は歯科医師、兄は東京大学の生物学の研究室にいます。本来だったら、長男の兄が家業を継ぐことを期待されると思いますよね。しかし、兄は僕から見てもすごく頭がよく、自分の考えをしっかりもっていてやりたいことをやる人だから、家業は継がなかった。両親もそれに対して何も言いませんでしたが、それだけ優秀だということです。だから、必然的に僕が家業を継ぐという雰囲気になって……。

僕もそれでいいと思っていましたし、両親も僕の将来のことを考えてくれていたんだと思います。だけど、そういう状況を受け入れていくうちに体調を崩し、高校へ通えない時期があって、その頃から自分が何をやりたいのかって考えるようになりました。そこで最初に頭に浮かんだのが、映画の特殊効果みたいなものでした。美術大学への進学という選択肢をイメージし始めたのも、これが理由です。だけど、もっと根本にあるものは兄へのコンプレックスだったのかもしれません。小さい頃からずっと僕の前には兄がいました。お手本でもあり、自分の中で比べていました。でも、どうしてもまねはできない。本当はまねをする必要はなかったんですけど。そんな中で、美術の時間に描いた絵は評価してもらえたし、それは自分の力なのかなと。要するに兄の姿がなく、なおかつ自分の楽しいと思える分野が美術だったというわけです。

しかし、いざ美術大学へ進もうと思っても、僕の地元の近くには美術の予備校がないので困りました。それどころか、周りに美術大学へ進もうとする人もいないから、自分の絵がどのくらいのレベルなのかも分からなかったですしね。最終的に、僕は、絵ではなく数学で受験して、ムサビのデザイン情報学科に入学しました。

ムサビ、留学先で学んだこと

デザイン情報学科は入学するときにできたばかりの学科で、僕たちは第一期生でした。だから、授業も含めてすべてが手探りといった感じ。先輩もいないから具体的な将来像もイメージできなくて、僕たちは実験台みたいなものでしたね(笑い)。授業はグラフィックの授業、本を作るエディトリアルデザインの授業、映像の授業、プログラミングの授業と、すごく範囲が広くて、さまざまな分野について学びました。また、僕は高校の頃から留学したいと考えていたこともあり、英語を学ばなければいけないという意識を強くもっていたのですが、授業のなかで日本語と英語の文章を書けというものがあったりして、なんだか美大っぽくない授業もいっぱいありました。

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