社会のために、広告ができること
中島信也 CMディレクター

中島信也「社会のために、広告ができること」

カンヌ国際CMフェスティバルでグランプリを受賞した日清カップヌードル“hungry?”、本木雅弘と宮沢りえによる時代劇風の演出が印象的なサントリーの伊右衛門など、数々の名CMの監督を務めてきた中島信也。ムサビ時代から人間の本当の幸せ、幸せな社会のあるべき姿について考え続け、いまもなお、迷い、悩み、立ち止まることの繰り返しだという。

Profile

中島信也(なかじま・しんや)
武蔵野美術大学造形学部視覚伝達デザイン学科卒業。東北新社取締役、武蔵野美術大学視覚伝達デザイン学科・デザイン情報学科客員教授、同校友会校友会会長、CMディレクター。1993年に日清カップヌードル『hungry?』がカンヌ国際CMフェステバルでグランプリを受賞。主な監督作品に、サントリー『伊右衛門』、資生堂『新しい私になって』、ホンダ『HONDA StepWGN』などがある。

迷い、悩み、立ち止まる

予備校に通っていた浪人時代、ムサビに見学に行ったことがありました。そのときの印象がすごくよかったんですよ。でも、僕の第一志望は東京芸大だったんです。あの時代は今よりヒエラルキーが強く、階層意識が強かった。結局、僕は縁があってムサビに入学したわけですが、もう一年浪人して東京芸大を目指さなかったのは、下見のときに会った守衛さんの印象が良かったから(笑い)。

ムサビ時代はいろいろな活動をしていましたが、一番印象に残っているのは芸術祭の実行委員長をしたときかな。批判ばっかり浴びたことが忘れられない(笑い)。一番困ったのは大学からの補助金の分配。「俺たちはこれだけ必要なんだ」「こっちは材料費がこんなに高いんだ」とか、まさに分捕り合戦ですよ。それを調整するのがすごく大変でした。このように喧々諤々と議論して、なかなかまとまらないのはムサビの特徴じゃないでしょうか。

ムサビというのは、スキルも教えるんだけど、それよりも本質を重視するような雰囲気があるんです。僕のいた視覚伝達デザイン学科でも、デザインそのものより、デザインと社会の関係を考え、世の中とどう関わっていくのか、どうすれば幸せな社会が作られるのか、人間はどうあるべきなのかといったことをすごく考えさせられるんです。そこでよく、僕は学生たちに「ムサビズム」として3つの要素について話しています。端的に言うと、「迷う、悩む、立ち止まる」ということ。要するに、一向に前に進まないんですよ(笑い)。僕は今、ムサビの卒業生の集まりである校友会の会長をしているのですが、先輩たちのなかにはかなりの高齢の方もいらっしゃいます。そこで、話を聞くとどうも煮え切らない。まだ人生に悩んでおられたりするんですよ(笑い)。いつまでたっても迷い、悩んで立ち止まっているんですよね。コレだと思って集中する瞬間もあるのですが、また少し経つとこれでいいのかと本題に立ち返ってしまう。これが良い意味でも悪い意味でも、ムサビの特徴だと思っています。

天才の出現で変わってきたCM業界

僕の父は博報堂にいたのですが、当時、部下のクリエイターに岩崎富士男さん(現大阪芸術大学教授)がいらっしゃいました。岩崎さんにはこれまで、ダメ出しをされながらもいろいろと可愛がっていただきました。僕の監督作品「日清カップヌードル“hungry?”」がカンヌ国際CMフェスティバルでグランプリを受賞したのも、実はこの岩崎さんのおかげなんです。というのはこの作品、最初は落選したらしいんですよ。ところがちょうどこの時、カンヌの審査員のひとりだった岩崎さんが、この作品は単体で見るのではなく、3作セットのシリーズで見るべきとおっしゃった。その結果、敗者復活のチャンスが与えられた。すると、これはよく見ると相当いいぞという評価をいただき、最終的にはグランプリに輝いたということです。

この作品で一番えらいのは企画を作って通した博報堂です。CM制作というのは現在、企画を主に広告代理店のクリエイターの方が行い、それをプレゼンテーションします。制作が決まってはじめて僕らのようなディレクターが脚色・演出・監督をするんです。「hungry?」では、博報堂に当時在籍していたアートディレクターの大貫卓也さんの力が大きいですね。しかし、CM制作の流れが昔からこうだったわけではありません。70年代、80年代はCMディレクターがまさに王様で、原作・企画からディレクターが行っていました。ところが90年頃に広告代理店の中から大貫さんのような天才クリエイターの出現によって変わりはじめました。

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