好奇心ひとつで世の中を渡りきる
辛酸なめ子 コラムニスト

辛酸なめ子「好奇心ひとつで世の中を渡りきる」

辛酸なめ子として漫画で活躍するほか、池松江美として文筆やアート作品など幅広く活躍。近年は書籍などの作品のほか、Twitterなどでも、なにげない日常生活から流行文化まで、独自の見解でシニカルに、そしてユーモアたっぷりに表現して人気を獲得している。そんな彼女のムサビ時代は、恋も授業も辛酸をなめ続けたという。

Profile

辛酸なめ子(しんさん・なめこ)
武蔵野美術大学短期大学部デザイン科グラフィックデザイン専攻卒業。コラムニスト、漫画家。学生時代より、多方面で才能を発揮。1994年、渋谷パルコのフリーペーパー『GOMES』誌でゴメスマンガグランプリGOMES賞を受賞をきっかけに、雑誌メディアへ進出。インターネットの黎明期に、自らの日記を公開するなど新しいメディアに敏感なクリエイターとしても知られるほか、本名の池松江美名義で、文筆業やアート作品の制作でも活躍。近著に『無銭ひとり散歩―お金をかけずに東京珍スポット見物! 』『女子校育ち』『開運するためならなんだってします!』などがある。

イケメンに警戒心をもち続けたムサビ時代

美大には中学生の頃から進学したいと思っていたのですが、両親からはずっと反対されていました。でも、高校生のときに2年がかりで説得して、美術予備校に通わせてもらった結果、ムサビに入学することができました。両親が美大への進学を反対していた理由は、美大の男性に対する偏見。勝手な妄想で、美大の男性は危険だと思っていたみたいなんです。「狼の群れの中に、羊が入るようなものだ」と言われました(笑い)。実際に入ってみると、おしゃれなイケメンがいっぱいいましたね。でも、私は両親に洗脳されていましたから、イケメン男性はみんな女を騙そうとする悪い奴にしか見えませんでした(笑い)。おかげで会話をした記憶がほとんどないので、いま考えるともったいないことをしたと思っています。

ムサビではグラフィックデザイン科に在籍していました。当時は横尾忠則さんに憧れていて、グラフィックデザイナーになりたかったんです。だけど、実際に授業の課題で制作してみると全然ダメ。線も真っ直ぐ引けないし、色を塗ってもムラができるし。細かい作業ができなかったんですよ。それで、グラフィックデザイナーは向かないと思い、昔から愛読していた渋谷パルコのフリーペーパー『GOMES』(現在休刊)主催の漫画グランプリに応募したら、GOMES賞を受賞。それがきっかけで、在学中に雑誌の連載をもったりしていました。ほかにもアート系のフリーペーパーを作っているグループに参加して、アート界の巨匠にインタビューするなど、大学外での活動が多かったので、大学内での青春っぽいエピソードは何もないんですよね。

辛酸なめ子というペンネームは、この頃よりも前、新聞を自主制作していた高校時代から使っていたものです。友達に薄幸そうだねとか、不健康そうだねとか言われ、だったら名前にしちゃえって名乗ったのが始まりです。おかげで、受験雑誌に連載をもっていたとき、名前が不吉だと言われて連載中止なんてこともありました(笑い)。

活動範囲を広げるきっかけになったのは黎明期のウェブサイト

横尾忠則さんもそうなのですが、私はいろいろなメディアで活躍している人に憧れていたんですよ。多方面で才能を発揮している人がすごく格好よく見えたんです。それで、大学の授業で先生が「海外では複数のメディアで活躍する人が、メディア・アクティビストと名乗っている」とおっしゃったのを聞いて、一時、私もメディア・アクティビストという肩書きを名刺に入れていました。その後で教授に名刺をお見せしたら「十年早い」と言われてしまいましたが……。

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