オンリーワンであるために
鄭秀和 建築家
乱暴な言い方をすれば、「これって家具調だろ」って言われそうですね。しかし、家電のデザインってこれまで、例えば食卓に置かれるものなのにピンク色をしていたりして、周りの雰囲気とアンバランスだったりしたように思うんですよね。プロダクトデザイナーの方は基本的に、制作物を手にとって、そのモノ自体の美しさに神経を集中して作っているように思われます。一方、ぼくは家電も空間の中のひとつと意識しながら、木製のテーブルの上にポンと置いてみた様子をイメージし、家具としての家電をデザインしてみました。これが、ほかの家電との決定的な違いです。
しかし、シンプルなデザインなので、プロダクトデザイナーの方からは「あれなら俺でも作れそう」なんて思われているでしょう。だけどぼくはプロダクトデザイナーの方に勝とうと思ってデザインをしているわけではなく、自分の感性のまま、よくデザインされた家電を作ったつもりです。だから、単純にプロダクトのデザインという比較をするなら、ぼくより上手な人はいるでしょう。例えば、別のプロダクトデザイナーの方と比べられる事も多いですが、そもそもデザインに対する姿勢やブランドの立ち位置が違うし、違いがはっきりしている。だから、同じ土俵で比べること自体が間違っていると思っています。
大学時代はなかなか理解されなかった
大学時代、ぼくは学内で何かの賞をとったということがありません。ぼくが言っていることはあまり理解されず、評価されませんでした。卒業制作のテーマも都市形成でしたが、都市が建築家の夢だけで作られる時代は終わり、やがてさまざまな関係性のなかで都市機能が生まれていくというシナリオを、多種多彩なかたちで表現しました。しかしほとんどの先生から理解されませんでした。そのなかでただ一人、竹山実教授(現名誉教授)だけが非常に高く評価してくださったのですが、そのときも「これは誰にも理解できないよ」と言われました。だから今、ぼくがやっていることは卒業制作の延長のようなものですね。ただ、もしあのときに評価されていたら、ぼくはそれで満足して今はやってなかったかもしれません。
評価という意味では現在、何が優秀なのかということ、つまり優秀さの定義そのものが多様化し始めています。ですから、学生は自分のいいところを伸ばしていけばいい。あまり悪いところばかり考えてもしょうがないですから。ただし、独りよがりになってはいけません。エゴの塊のようになって「俺はすごいんだ」とか言っている若い人がいますが、そんなことを言っちゃう時点ですごくない。自分がよいと思っても、相手に評価されなかったら意味がないですからね。いいところを伸ばしていくこと。学生にはそれを覚えていて欲しいですね。