模型の曲面に人生を垣間見た
横山宏 イラストレーター・モデラ―
1982年、模型雑誌『ホビージャパン』の連載企画として始まった「SF3Dオリジナル」。現在はマシーネンクリーガーと呼び方を変え「モデルグラフィックス」などで、そのコンテンツを継続している。生み出された数々のオリジナルSF兵器やロボットは、約30年のときを経てもなお、色褪せることなくファンの心をつかみ続けている。この模型の制作において横山は、2Dと3Dでの作業を行き来する、独特の手法を用いているという。
Profile
- 横山宏(よこやま・こう)
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武蔵野美術大学造形学部日本画学科卒業。イラストレーター、モデラー。1982年にホビージャパン社の連載企画としてはじまった「SF3Dオリジナル」はマシーネンクリーガーと呼び名を変え今も人気を博している。自らも在籍する日本SF作家クラブが主催する「日本SF大賞」のトロフィー、「手塚治虫文化賞」の鉄腕アトムをモチーフとした賞牌を手がける他、ゲームソフトのデザインに参加するなど、その活動は多岐にわたる。
マシーネンクリーガー誕生秘話
子供の頃、ぼくは小松崎茂氏などによって少年雑誌に描かれた戦車や軍艦、架空のロボットに心躍らせていました。それらは当時大流行したプラモデルとなり立体として手にいれる事が出来ました。そんな模型作りに夢中な子供時代を過ごします。模型への興味は学生時代も変わることがなく、スターウォーズなどのSF映画に登場する、驚くほどリアリティーのあるプロップ(縮尺模型)を見て、創作意欲を刺激される毎日。大学卒業に至っても在学中から始めたイラストレーションの仕事を続けるためもあって、就職はしませんでした。もちろん模型の創作も続けて、しばらくは学生時代とほとんど変わらない生活を送っていましたね。
模型雑誌『ホビージャパン』で、おもしろい企画がもちあがったのでやってみないかと話をいただいたのは、そんな生活を送っていたときのことです。既存のプラモデルのパーツなどを使うミキシングビルドという手法で、映画でもアニメでもないオリジナルの作品を拵えるという企画。編集部にムサビの卒業生(現アートボックス社長 市村弘氏)がいた縁で、声をかけてもらったぼくは、その一度きりの特別企画に参加しました。いざやってみると好評で、連載がまもなくスタート。さらに読者の中から「これを複製したものがほしい」という声まであがり、余っていたものを読者プレゼントすることに。すると、想像を超えて多くの応募があったため、「だったら商品化しよう」ということでプラモデルの販売を始めました。これが、ぼくの代表作のひとつとなった『マシーネンクリーガー』誕生の経緯です。
ところでこの企画のおもしろさに、後付けでストーリーを作る手法が挙げられます。やり方としては、まずぼくがインディペンデントな模型群を制作。次にその模型群から想像力を膨らませて、細かい設定やストーリーが後付けされるという、フォトストーリーという手法です。そのため、「まず模型ありき」という、従来のアニメなどのプラモデルにはない独特な性格が生まれることになり、それが反響を呼ぶ原因のひとつだったのでしょう。
平面、立体両方を学ぶ意義
何かを造形するときに模型の部品から流用するわけです。そのときに、ぼくが好んで使用するもののひとつが曲面で構成されたパーツです。人間は卵など丸いものを見たときに、手に取ってみようとする本能がある。逆に言えば、角ばったものや棘のあるものには近づかない。このようなことは大学時代に心理学や造形学で学んだことで、パーツを収集するときや制作するときなど、あらゆる機会で意識しています。