日産自動車株式会社
深く突き詰めることの大切さ
中村史郎(工業デザイン専攻卒業) × 邱 溪 (工芸工業デザイン学科卒業)

思い入れの強い仕事はありますか?

 最近では、コンセプトカーの「インフィニティ エッセンス」ですね。

中村 これは邱に「何かおもしろいものを考えて」と伝えてできたものです。

 中村は投げかけが多いんです。ヒントのようなものを投げかけられるのですが、その度に考えつくさないと応えられないので、勉強する機会も同時に与えてもらっています。

エッセンスへの投げかけはどんなものでしたか?

 代表的な部分でいえば、フロントフェンダーの「かんざし」のデザインです。

中村 インフィニティは日本では販売されていないものの、日産の高級ブランドですから、日産らしさや日本らしさを表現したかったんです。そのため、ボディーラインもあでやかさを表現していますし、形ひとつひとつがもっている意味も含めて日本の美を意識してデザインされています。外国の方に「日本のメーカーでしか作れない美しさを感じるよね」と言われるようなものを作りたかったわけです。その1つ1つがブランドにつながりますから。

そのなかで、エッセンスは、ルーフから窓にかけての部分が三日月の形をした、クレセントと呼んでいる部分に、「もうひとつ何かが足りないよね」と投げかけました。何かひとつ、日本の美やあでやかさからヒントを得たものをプラスしたいと思っていたのですが、邱は「かんざし」という答えをもってきたんです。これは日本的な女性の美しさ、艶やかさや癒しを表現するのに最適な道具で、非常にいいアイデアだと思いましたね。私たちはいつも、このようにその車のシンボルとなる表現はないかと考えながら、デザインしています。

かんざしという発想はどこから出たのですか?

 イメージしたのは日本古来の装飾品や、伝統工芸品に見られる美しさ。そこからヒントを得て、かんざしを表現してみようと考えつきました。そこで、かんざしの写真を数百枚も集め、どう表現していくかを考えたわけですが、形はもちろん向きも含めてさまざまなことを試しました。

実はこの車をデザインするまえ、フーガのコンペで負けたんです。あのとき、なかなか勝てなくてすごく苦しい思いをしていたのですが、いろいろ試行錯誤して自分なりに手ごたえを感じる技のようなものを蓄積していた時期でもありました。しかし、フーガのコンペでは、それを出し切る前に負けてしまったんです。エッセンスでは、そのときの想いも培った技もすべて出し切れたと感じています。このような苦労や悔しさってすごく大事だと思うんですよね。挫折しても、そのことが次に力となって繋がればいいので、今の学生の方もそういう情熱のようなものを失わないでほしいですね。

中村さんは日産が厳しい状況にあるときに移籍してきたわけですが、日産再生のために考えていたデザイン戦略はありますか?

中村 日産はそもそも力をもった会社ですし、90年代には特に素晴らしい結果を残していました。友人もたくさんいましたから、日産の中にどんな人がいるかも分かっていたので、それほど大きな苦労はなかったです。ただ、日産が持つ力を十分に発揮できていなかったということが問題になっていたので、私が最初に手掛けたことは、使いきれていなかった能力や蓄積されてきたものを掘り起こすということでした。ゼロから何かを生み出したというわけではなく、そのときに埋もれていた日産らしさを引き出すことに努めました。私が何かを発見したわけではありません。日産には長い年月を経て先輩たちが築き上げてきた資産があり、それらをベースに勉強しながら新しいものを作り上げるのが我々のミッションであり、その遺産を食いつぶしてはダメなんです。

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