「住まうかたち」の原型
東南アジアの生活圏は数多の入り江・川辺など、水に囲まれた環礁地帯や湿地帯が中心です。滋養と水資源に富んだ場所は、動植物の繁殖のみならず人間にとって最適の生息圏ではないでしょうか。そういった環境から自ずとうまれる文化や生活様式に注目したのが建築家スメート・ジュムサイの著作「水の神ナーガ」です。海や川と陸をつなぐ境界線にたつ水辺の建造物には生活知の遺産が集積しています。著者はそれらを水陸両方に生活圏をもつ両生類に例えて「両生建築」と名づけました。文中で着目すべき建築のひとつにインドネシア・スマトラ島のトモク村にある、船を裏返して屋根にしたような住居があります。海洋民族がまさに陸にあがって生活をはじめた証ですが、ジュムサイはそこに人類に潜在する「住まうかたち」の原型を見ます。人類は陸で発祥し、海に向かったのではなく、海から陸へ生活の場を移したのではないか、という大胆な仮説。このような研究の必要性を感じていたのはジュムサイだけでなく20世紀の知の巨人バックミンスター・フラーもその一人でした。彼は独自の根拠によって人類の発祥はアフリカだけではなく東南アジアもそのひとつではないかと推察していたようです。気候が一年中高温多湿なので防寒の必要がなく、水も食料も豊富にあります。生態系にとって必要なあらゆるものが肥沃に備わっているまさに胎児にとっての羊水のような空間をその起源とするのが自然であると考察したのです。
21世紀のデザインOSの核心
フラーは晩年、熱帯のアジアに人類の起源を探り、他方、次世代のデザインを開発するための研究所をつくる構想を抱いていました。それは人類発祥の地、東南アジアに研究の拠点を構えて21世紀の世界を考えようという思いからでした。北半球の先進国が行き着いた資本主義社会において、終わりなき競争原理の中でどのように生き延びていくのか、という閉塞的な未来観ではどうしようもない。自然に対して負荷のない生き方ができる東南アジア、そこには古代から自然発生的に生まれた人類の生活知の地層が横たわっている。高度な文明に足を取られない、21世紀の生活に必要なアイデアがあるんじゃないか、それをきちんと新たな視点で評価し、研究しようというのが彼のポジティブな姿勢でした。
21世紀のデザインOS(Operation System)の核心が、東南アジアにあるのではないか、という着想はとても新しい。ともすると開発の遅れた、経済活動も周回遅れの国々というのが一般的な印象ですから。実を言うと、それがプロジェクトへ関わったぼくの一番の動機です。インドネシアを中心に竹の研究をすることは、日本が欧米に追随していた20世紀をへて、次世代の世界観づくりへの一つの布石になるのではないか。その取り組みを通じて東南アジアにおいて何かしらを繋げ、本学の学生つまり未来のデザイナーたちがそれをより深めていって欲しいと願っているからです。
アジアの、世界の中心
もう一つの理由は、バリ島で結婚式をあげた友人がふともらした「インドネシアはアジアの、世界の中心のような気がする」という言葉です。その時は違和感がありましたが、今では彼のつぶやきに共感しています。東南アジアが世界の中心という根拠はなにもないですよね。むしろアジアの中心ですらないと思われがちでしょう。二十年前、日本はたしかにバブル期にあってアジアの中心だったのかもしれない。今日はオリンピック、万博を誘致した中国でしょうか?
でもちょっと待ってください。それはあくまで経済活動を基準にしての比較です。開発途上国といわれるインドネシアは先進国の日本と比べてはたしてアジアの周辺なのでしょうか。人類の拡散ルート、海流をたどればさまざまな情報、とりわけ文化、生活様式がインドネシアからはるばる海を渡って日本へ移入されたとする方が無理はありません。
光そのものである竹
インドネシアを何度か訪ねて感銘をうけたのは、様々な色やかたちのエッジに光彩が充ちていることです。色もかたちもその生成の源は光です。光が彼の地の豊かなバティックの柄、見事な色彩、繊細なカーヴィングなど様々なオジリンの造形を生成してきたのです。それに加え、インドネシア全域に密生する竹も、光そのものなのではないかという直感です。インドネシアでは真昼に道路にたつと影ができません。天頂に太陽が位置しているのです。まさに光が垂直に落ちてくる。かつて日本において、神は垂直に大地に降りてくると考えられてきました。それぞれに幣帛(へいはく)を垂らした注連縄(しめなわ)に囲まれた方形の空間、神籬(ひもろぎ)が降臨の場所です。それはきっと天にとどろく轟音とともに降り落ちてくる雷、すなわち強烈な放電現象を驚愕とともに体験したことからでしょう。
竹は成長とともにぐんぐん天に向かって垂直に伸びていきます。強い生命力がみなぎっているのを感じます。「竹害を減らすために竹を有効利用しなければならない」というのは人間の方便であって、光そのものである竹のエネルギーを借りて、自然への恩返しで何かさせていただくという心構えが必要なのではないでしょうか。
未来の素材としての竹
デザイナーが20世紀にかかわってきた成果というのは、極端に言えば金属とプラスチックの浪費と、化石燃料や森林伐採を主とした後戻りの効かない環境破壊に手を貸すことでした。現在においてもなお石油や木材といった資源を、枯渇することが分かった上で使い続けています。20世紀という工業化社会の進展がすすむ間、人類は地球の恩恵である資源の枯渇が不可避的な素材を消費しながら、やがては持続可能な素材を使いこなせるようになるための予行演習期間を与えられていたのかもしれないというフラーの仮説は、今日を生きる者へ将来をネガティブに捉えるのではなく、次なる時代へのはっきりとした使命を伝えようとしています。
現時点において、21世紀の終わり頃に今のようなビル群ではなく、持続可能な竹の構造物が都市を形成しているというイメージは持ちにくいかもしれません。ですが今後を考えたときに、現在のような少しの地表の揺れで倒壊する恐れのあるコンクリート建築のalternative(代替物)は必ず必要になってきます。重い素材は人を押しつぶします。本来は人を守るべき器が凶器にかわってしまう。集積した超高層ビル群こそが未来都市という幻想にいつまで人類は酔いしれていくのでしょう。耐震構造というのは、技術的な限界であるというより、いまだ技術的発想の未熟さのあらわれかもしれない。そういったときに次々に生えてくる竹は、未来の素材として浮かび上がるのではないでしょうか。しなかやで持続可能なその特性が何か大切な情報をぼくたちに訴えているように思えます。竹の中には、新しい時代に必要な何かが眠っているような予感があります。想像が過ぎるかもしれませんが、ぼくは竹のもつ生命感はあたかも神の降臨と対応して捉えられるように思えるのです。その竹文化を育んできた光が垂直に降りそそぐインドネシアは、やはり世界の中心のような気がしてなりません。アジアの中心で世界を考える、ということでしょうか。
デザインに求められるもの
今回の竹プロジェクトのような取り組みは21世紀のデザイナーの重要な使命のひとつだと確信しています。デザイナーは何を目的に仕事をしているでしょうか。「生活を豊かにするために」「世の中を幸せにするために」、いろいろ挙げられるでしょうが、経済活動を根っこにした発想であることにちがいはありません。こういう大きなテーマの問いかけは現実の生活の忙しさにまぎれ忘れがちになりますが、プロジェクトの中で繰り返し考え続けることで、参加した学生たちにも何かしらつかんで欲しいと思っています。
現在のデザインは、高度に発達した経済流通システムという文脈の中でしか語られないし、その延長線上にデザインの未来を継いでいかなければならないとは到底思えません。それはハリボテの土壌に新たに足場を組んでハリボテの高層ビルを建てるようなものです。モダニズムの時代からポストモダンへの混迷期を抜け、新たな時代が来ようとしています。来たるべきデザインを思い描くとき、おそらく現在の経済システムから生み出される造形に次の世界を牽引する解答を見つけるのは困難ではないか。20世紀は多くの分野において、確かに素晴らしい発展を遂げたかもしれませんが、同時に様々な負荷を地球にも人類にもかけすぎてきました。直面している地球温暖化問題や身近では日本の自殺増加はその警告のように思えます。今もっともデザインに求められるのは、むしろこれまで暗黙の約束だった経済基盤の上に乗っかった生活への意識をかえ、それを包含する地域、都市、文明に自省的に寄与するデザイン、本来、人類がもっていた生命観の見直しを主題とすることではないでしょうか。
「学び」の贈り物
今年度のプロジェクトの主眼は、2009年3月に行うインドネシア学生研修です。本学のみなさんと現地に赴き、バンドゥン工科大学の学生たちといっしょに作品をつくるというものですが、単なる観光では味わえないような体験をしてもらいたい。現地の竹の産地や工場を見学し、ワークショップを経験することだけが目的ではありません。最も大切なことはコミュニケーションにおける第一「発声」者になることです。日本で制作した竹のプロトタイプ製品をテーマでもあるgift(贈り物)としてインドネシアに運び、展示させてもらう、そこから始めるのです。バンドゥンの学生たちが喜んで受け取ってくれたらいいけれども、思っていたほど意図が伝わらないかもしれない。コミュニケーションのきっかけはお互いの誤解もふくめて、思いを交換し合う「贈与」の場づくりであり、そこに生じる意識の流れにこそ肝があるのです。お互いの普遍性と差異を認識しあった瞬間から、意識のセンサーが一気に立ち上がる。とりわけ未知なるものに遭遇したときの知的な驚きがいい。そのような経験を重ねることが、コミュニケーションにとってほどよい「発声練習」になることでしょう。
これまでのデザイン教育は欧米を評価基準にし、西洋文化圏へ眼差しを向けてきました。そのような図式を東南アジアで同じように描いてはいけません。先進国から開発途上国に技術を移転する、という啓蒙主義ではたぶんディスコミュニケーションで終わってしまう。一方的に日本から情報を「与える」のではなく、贈り物を自ら携えていき、できるものならインドネシアから「学び」の贈り物をいただきたい。おそらくぼくたちが教えてもらうことの方がはるかに多いでしょうけど。
竹に潜む未知のデザインOS
この2年間のプロジェクト期間中に竹製品の完成形が生まれる、と都合のよいことは考えていません。むしろ東南アジアとの関わりにおいて、竹に潜む未知のデザインOSの可能性を明らかにすることがプロジェクトの目的です。21世紀に輝きだすものはもしかしたら竹籠を編むような伝統的な工芸技術、古来よりの知識の再学習から生まれるかもしれません。20世紀につくられたモダンデザインに対するalternative(代替物)ということはないでしょう。まして、かつてプラスチックが自然素材から取って代わったように、今度はプラスチックを竹に置き換える、ということでは単なるアイデア商品にすぎません。往々にしてデザイナーはプラスチックだったものを自然素材に戻そう、それがエコ商品なのだという安直なことをやってしまいます。
実際にインドネシアに行ったら、alternative(代替物)ではない竹製品が、ちまたに溢れていることに気づくことでしょう。インドネシアの人たちも古来より竹の製品を数多く生み出していますが、大半のものは素朴でローテックな造形と映るかもしれません。それを洗練させて、商品化してあげようというのはおこがましい。かといって、現地に観光にいって刺激をうけ、これまでになかった斬新な造形がいきなり手に入れられるとも思えません。繰り返して強調しておきたいのですが、日本の古くからある伝統技法やインドネシアの生活様式から生まれてきたものの中に、新しいOSはすでに存在しているような気がしています。人類の祖先が竹を用いてきた歴史は永く、その中で生み出され洗練されてきた技術知は数知れません。むしろ今日のぼくたちデザイナーは、まるで母国語を忘れて話せなくなってしまったように、それらを見事に忘れ去ってしまっているのです。
20世紀に人類が生み出したものは化石燃料や森林など何億年もかかってきた取り返しのつかない自然を犠牲にした産物であり、その上に成り立つ衣食住を囲まれて暮らしています。これまでデザインが目指してきたものは購買意欲をそそる表層的なイメージづくりでした。また、石油を無尽蔵に使い続けてきて、次には石油からつくられた樹脂をリサイクルしてまた使う。これでは今までの生活様式を延長させることしかできません。この矛盾は、金持ちの子孫が財産を失ってもなお先祖と同じような浪費生活を続けたがっているようなものです。
次の時代を予見させる必要性
最近、感銘を受けたのが福岡伸一の著作「生物と無生物のあいだ」で提示された世界観です。分子生物学から眺めた微細な宇宙では、生きとし生けるものの全ての分子が、瞬時に入れ替わっているというのです。そこに生き物として存在していることは、ひととき「秩序」が動的平衡を引き寄せていることを意味している。このような知見をシュレディンガー、シェーンハイマーらが20世紀の早い時期に発見し、それが生命の本性ではないか、と捉えていたとは驚きます。生命をかたちづくる分子はそこに片時もとどまることなく常に入れ替わり続けている、流動しているという現実。量子物理学、分子生物学の分野から提示された知見によって、揺るぎのないカチッとしたものを目指す価値観から、大きく意識を転換する必要があるかもしれません。それはかつてアインシュタインが、理論物理学の知見から世界のありようを劇的に変化させたことと同様です。彼の「時間は空間のように歪む」という概念はこれまでの世界観を、根本から転換させてしまったのです。
デザインの分野において、次の時代の世界観をイメージさせ、予見させるかたちの提示が今日もっとも必要な仕事だと思っています。と言いますのも、例えば竹による造形から未来の生活が想起され、未来の生活の予見から竹という持続可能な素材の必要性が再評価されるような、correspondence(呼応)が、来るべきデザインをつくっていくのだと思うからです。未来をデザインするということは、先端科学が模索する生命や宇宙の理、古来よりの技法や伝統的な生活文化(それらはともに人類が獲得した知の集積です)に曇りのないまなざしを向け、繰り返し自分の立ち位置を自問しながら、失敗を恐れずに具体的なかたちを提案することから始まるのではないでしょうか。その第一歩をこのプロジェクトで踏み出せたら、と期待しています。また、そこに何か手がかりがあるかもしれない、と実感したいものです。このようなことが本プロジェクトの目的でもあり、21世紀の造形指導者の指針となるべきだと信じています。