富士ゼロックス株式会社
人と人とのつながりと揺るがないコンセプト
古郷慎也(基礎デザイン学科卒業) × 扇一行 (工芸工業デザイン学科卒業)

Profile

古郷慎也(こごう・しんや)
1986年入社。複写機、プリンターなどのプロダクトデザイナーを14年間担当後、ユーザビリティデザインに7年間携わり、現在、デザイン2グループ長としてプロダクトデザインのマネージメント業務を行う。
扇一行(おうぎ・かずゆき)
2006年入社。以降、スモールオフィス向けデスクトッププリンター、複合機のインダストリアルデザインを担当。

富士ゼロックス株式会社の古郷慎也さん(基礎デザイン学科卒業)と扇一行さん(工芸工業デザイン学科卒業)。ヒューマンインタフェースデザイン開発部でプリンターや複合機のデザインに携わる。
ムサビで学んだことが、「人」を重視する伝統をもつ富士ゼロックスの文化に合致したと話すお二人。ムサビ時代に学んだことと、いまについてお聞きした。

お二人が携わった富士ゼロックスの製品

――お二人が美大を目指した理由は何ですか?

古郷 もともと絵が好きで高校のときは美術部に所属。だけど、すごく絵の上手い部員を見て「これはかなわない」と思ってアーティストの道はあきらめ、演劇部に入りました。大学への進学は当初、経済学部や経営学部を考えていたのですが、勉強に身が入らず受験に失敗。そこで「やっぱり好きなことをやりたい!」と、浪人して美大を目指しました。

 デザインの仕事に携わりたいという気持ちはあったのですか?

古郷 気持ちはあったけど、あまり才能に自信がなかったから、デザインの領域を広く学べる基礎ザイン学科を選んだ。でも、本当は彫刻がやりたかったんだよね。やるなら立体かなと思っていたんだけど。

扇君はなぜムサビに進学しようと思ったの?

 わたしも小さいときから絵が好きで、中学も高校も美術部でした。でも、古郷さんと同じでアートの道に進むのは自信が持てなかったので、中学生の頃から努力次第で仕事にできるデザインの世界は意識するようになりました。

ムサビでは工芸工業デザイン学科でしたが、本当はグラフィックに興味をもっていたので、視覚伝達デザイン学科に入りたかったんです。だけど視覚伝達デザイン学科は受験に失敗。合格できたのは工芸工業デザイン学科と空間演出デザイン学科だったのですが、当時のわたしには2学科とも何をやる学科なのかよく理解できていなかったので、予備校の先生に「わたしはどっちに行くべきでしょうか」って聞いたんです。そうしたら先生が「工芸工業デザイン学科は人と関わるものづくりをするところ」とおっしゃった。その言葉が印象深くて工芸工業デザイン学科への進学を決めました。

古郷 結果的には今に繋がっているからよかったね。わたしは、ちょっと物足りない部分もあったかな。

基礎デザイン学科の授業は理論が多く、実技が少ない。だから、もう少しスキルを磨きたかったという気持ちはあった。でも、そのなかでも、当時ゼミを担当してくださった遠藤武雄教授の授業は印象に残っていて、とにかくコンセプトの重要性を叩き込まれた。「コンセプトがないとデザインは成り立たない」と常におっしゃっていたのをよく覚えています。それが今に生きている部分があると思う。

 あまり専門的な技術ばかりにとらわれると、デザインはうまくいきませんよね。幅広い視野で考えるのは大事だと思います。

古郷 理論ばかりで頭でっかちだとダメ。努力して磨いたテクニックがないと口だけになってしまう。その点でわたしは少しコンプレックスがあるんだよ。だから、学生時代の反省としてもっとまじめに大学へ行っておけばよかったと思っている。あと、勉強以外にも大学時代にしかできないことがいっぱいあるから、もっと経験を積めばよかった。

 例えばどんなことですか?

古郷 バイトでも旅行でもいい。たとえ借金をしてでも海外旅行とかに出かけて、視野を広げるべきだと思う。バイトでも会社の仕組みを知るチャンスなんだよね。社会人になったら他社に体験入社なんてことはできないから。

 学生時代ならではという意味では、わたしはもっと感性を磨いておきたかったと思います。感性は先輩デザイナーとも対等に渡り合えるものですし。わたしはサークルに入っていたので、他学科の学生と一緒に過ごす時間が多かったのですが、油絵とか彫刻とか自分の専門外のさまざまな分野の人間と触れ合うことができ、いろいろな刺激を受けました。そういう環境にあるということをもっと意識していれば、もっともっと感性を磨くことができたと思います。

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