続いて質疑応答にうつった。時間の都合上、本学非常勤講師の松本夏樹先生からの質問のみとした。
質問:
造形指導者という言葉がチラシには出ていますが、造形というのは形を作るわけですから道具をつかって竹を加工しなければなりません。竹はある意味で危険な素材ですよね。割いたら大変鋭い断面やトゲが現れます。あるいは竹の表面は固く滑りますし、鋸で正確に切ることは難しい。その場合、どのように滑る鋸を制御し、正確な線をひくのか。また、金槌をつかって釘を縦に打ち込めば竹の繊維はバサバサになってしまいますし、壊れてしまいます。ですから小槌をつかわなければならない。小槌というのは金槌と異なり、軽いものですから金槌とは違う手首の使い方を持って打ち込まなければなりません。あるいは竹ヒゴのようなものをつくるために割く場合、刃は柔らかい方向へ流れてしまい、直線をつくることは難しい。その場合、どのようにコントロールするのかという問題が出てきます。造形指導者という以上、鋸を正確に一線でひく、ですとか、竹の固い繊維をひくうちに鋸はすぐ甘くなってきます。そうすると歯振(あさり)を立てて、目立てをしなければなりません。そういったことが造形の基礎にありますが、最近の若い人は肥後守で竹を削った、とか竹細工の最中に竹のトゲが刺さったとか、そういった経験がないのではないかと思うのです。例えば金槌と小槌の使い方ですとか、鋸のひき方、または目立ての仕方。以前、目立ての意味を学生に聞かれたこともありますが、道具はつかったらメンテナンスが必要、といった概念も少ない。道具をつかうには体に様々な技術を経験の中で覚えさせる必要がありますし、果たしてそのような技術無しにデザインやかたち、記号に関して云々することはできるのかどうか。そういった辺りをお聞きしたいと思います。
回答(宮島教授):
今実際に工房に入って作業をしていますが、恐らくそういった問題にはぶつかってくると思います。そこから道具との問題にどう対応していくかという段階に入っていくと思います。学生達に、かつての徒弟制度の時代のように最初から教えるという余裕はありませんから、学生達が実際に触れながら、そういった問題も感じてもらうつもりです。また、現在使用している竹はEDS加工という特殊処理を行ったものですので、今ご質問にあったような、曲げるとか細かく割くといったことができないのです。鋸を正確にひけるとか、生竹とは違う状況もあります。
最後に板東教授より挨拶があって本シンポジウムは締めくくられた。
板東教授:
今、皆さんの前に並べられている日詰さんの作品、または10号館前芝生に建っているドーム、シュワーベさんのワークショップ作品などに関して、先ほどシュワーベさんが実に上手くまとめてくださいました。これらは一つのモデルであると思います。モデルというのは何かを伝えようとするかたち、すなわち言語です。これはなにかの実用品のかたちをとっていません。これこそがデザインやアートに携わっている人々が取り組んでいかなければならないことではないでしょうか。なぜならば僕たちは次の時代の生活を具体的に描くことはできませんが、提示をすること、言語化することが一番大切な仕事ではないかと思っているからです。確かに実用品をデザインし、売れる商品を考えることもデザインの一つのアプリケーションとして必要なことかもしれません。いつのまにかデザイナーはそのような仕事ばかりやっているのですね。結果としてデザイン・美術の教育の現状として、学生達をそのような仕事、世界へ追い込んでしまっているのではないでしょうか。そういった現状に気付き違和感を覚えていらっしゃる方もいるかと思います。実際、僕はグラフィックデザイナーとして何をやっているかと言いますと、日々コンピューターに向かって、プリントアウトしたものを見比べながら、これは奇麗だ、これは汚いなどとやっています。学生達の作品もプリントアウトしたものを壁に張って講評しますが、中にはプロのような美しい仕上がりのものもあります。ですがある時、そのような成果物に何も感じなくなってしまったのです。上手くても下手でも、全部同じに見えてしまうのです。皆、同じアプリケーションソフトをつかってデザインしていますと、その中でだけ差異をつくり出してしまっている。これは恐らく工業デザインや建築の場合でも同様の問題に直面しているのではないでしょうか。現在のように誰でも作品をつくることのできる時代に生きていると、一見幸せそうに見えるけれども、つくり手としては不幸なのです。今や大学で専門的に勉強しなくとも、アプリケーションは独学で勉強できる時代です。では、美術大学に求められているものとは何でしょうか。デザインやアートに専門的に関わっていく人間は、次の時代の新しい言語、表現を提示する必要をあるということを、強く自覚していかねばならないのです。
今日ゲストでお越しいただいたシュワーベさんや日詰さんは、まさにそのような取り組みをすでに行っており、次の時代に極めて重要な言語を提示されています。そのような新しいデザイナー像を目指す人が増えていって欲しいと思います。その時に竹というものは、非常に有効な素材なのです。有史以来、営々と人々は竹をつかってきた技術的な歴史や文化的な記憶といったものが、わずか100年足らずの間に僕らは失ってしまっている。その何千年という時間の中で堆積した、知恵や知識というものは膨大な情報量になります。デザインに携わる人間達がコンピューターばかりに向き合っている現状では、自然素材に対して無知になっています。むしろその状況こそが危機的なことなのです。僕は、竹は極めて未来的な素材であると同時に、そういった大事なことに気付かせてくれる素材ではないか、と思っています。
本日は長時間にわたりご参加いただきまして誠にありがとうございます。