続いてパネルディスカッションへとうつった。始めに会場から望月昭氏と相澤教授よりコメントがあった。望月氏は相澤教授とともに本プロジェクトにおいて竹を植物学的視点から、または竹と人間の関わりをテーマとした植物民族学の視点から講義を担当している。
望月氏:
望月です。このプロジェクトには今年の4月から参加しており、刺激を受け、面白い体験をしています。私の専門は造園、ランドスケープ・アーキテクチャーでして、素材に植物をつかいます。小さい頃より自然、自然科学に興味を持っておりました。今日の皆さんのプレゼンテーション、また最近ノーベル賞を受賞した日本人科学者の方がクラゲの光からヒントを得たと言っていることなどもですが、生命や自然の中に未来のヒントが隠れているということに非常に興味を覚えます。例えば1970年代にモスクワの建築家達がバイオニクスというものを盛んにやっていたことがありました。それも植物からヒントを得て建築の構造などへ応用していました。他にも例を挙げますとフランク・ロイド・ライトは砂漠の柱サボテンから構造のヒントを得たそうですし、ロンドンのクリスタル・パレスを手がけた造園家ジョセフ・パクストンはアマゾンの大オニバス、ビクトリア・アマゾニアという、小さな子供が乗ることもできる蓮の花の構造からヒントを得たそうです。そういった事例は枚挙にいとまがありません。もちろんR. バックミンスター・フラーもそうですし、先ほどの日詰先生の話にもでましたジャイアント・ロベリアの例も興味深いです。これから生命や自然の中に隠れたヒントを探すという視点で、皆さんとコラボレーションができたら、と思っています。竹に関しても、多くの場合、地上から上にばかり興味がいきがちですが、地下茎のネットワークはものすごいものがあります。常に増殖していく地下茎の構造上の強さなど、これから地下にも目を向けていかないといけないと思いますね。また、竹の驚異的な生長速度をミクロの視点から捉える必要もあるでしょう。
相澤教授:
まず、カスパーさん、日詰さんへ感謝の言葉を述べたいと思います。今日は本当に有り難うございます。フラーの紹介を受けても、それを実践できる人は中々いません。実は私は大学で建築学科2年生の頃、フラーの影響を受け、更に実践した日本人に出会ってしまったのです。私は彼を乗り越えることは不可能と思い、建築家となることを諦めました。以降、私は壊さない建築家を目指してきたのですが、日詰さんのお話を聞いていて、胸のすく思いがしました。何とも愉快でした。こういう生き方があったのか、と。私は長い間探し求めていた人にようやく出会えた気がしています。
それはどういうことかと言いますと、草屋根の大御所研究家である今和次郎がかつて私の書いた図面を見て、こう言ってくれたことがあるのです。
「うひゃうひゃうひゃ。わしゃ、嬉しい。下々のものが、こういうことをしてくれるということは、わしゃ嬉しい。うひゃうひゃうひゃ。」
その言葉を残して6ヶ月後に亡くなってしまうのですが、私はいつかこのセリフを次の世代にそっくりそのまま渡したいと常々思っていたのです。今日やっと出会えました。ですから私はもう、生きる上での肩の荷を降ろせた気持ちがしています。
日詰さんのお話の中に自在鉤という言葉が出てきていました。これは自由ということではありません。ヨーロッパのいう自由というのは、我々の理解している言葉の意味ではないのですが、自在というのは仏教用語で、他者を意識した自分の自在なのです。自分だけが好き勝手をする自由ではないのです。そのような生き方を日詰さんが意識されているかは分かりませんが、作品を持って世界中を歩いて写真を撮っている姿を拝見して、自在に生きている方だな、と感じました。実に、将来有望な人に会わせていただいて感謝しています。
身内である本学教員の話しを聞いていますと、「これは危険」と思える言葉が随所に出ていました。今後の取り組みにおいて、是非考えてもらいたいと思います。例えば「付加価値」という言葉。これは人間の欲望をそそのかします。そそのかされた後は、ゴミになるだけです。それから「現地の役に立ちたい」。これは思い上がりです。福沢諭吉が「隣の国の人たちに何かしてやらねばならぬ」という文章を書いて、結局、大東亜戦争にまでいってしまうのですね。さっきの自在の話しと絡んできますが、現地の人に対して接する時というのは、その土地の人と自分が、何ができるのかということを考えることだと思います。そして「先進国へ販売する」。それはどこから販売するのですか。後進国からですか。これはよく考えていただきたい。「緊急避難用の住居」という言葉が出てきました。緊急避難をする時というのは津波の際を考えたら良いと思います。この前のインドネシアの地震の際には、日本人の旅行者が犠牲になりました。日本人の若者の死体は腐らないのです。仮にムサビから学生達がインドネシアに行っている時に、災害に巻き込まれたとしても、ムサビの学生の死体は腐らない。これはなぜなのか考えてみてください。それは我々の体の中には、防腐剤の蓄積があるからです。
それからカスパーさんのお話に出てきた「デザインサイエンス」という言葉。これは悔しく思いましたね。また、教鞭をとられている倉敷芸術科学大学という大学名。それに比べ、武蔵野美術大学は大学名をどうしたら良いのか困ってしまいます。また、「日本はもっと情報を出すべき」という言葉がありましたが、情報というのは「情けに報いる」と書きます。日本人は既に情けに報いることが分からなくなっているのです。それはなぜかと言いますと、文明開化をしてしまい、未だに続けているからなのです。本来はあった「情けに報いる」ということを、文明開化の津波に根こそぎ持っていかれてしまったのです。そのため日本から情報が発信できなくなっているのだと思います。以上です。